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ざっくり、生きる意味を考えてみました

なぜ、あなたは生きているのですかと聞かれた時に、「心臓が動いているからです」「息をすっているからです」という返事の仕方と、「○○のようなことを目指しているからです」という言い方があるのではないかと思います。

私の理解だと前者がソクラテス以前の哲学者の答えで、後者がソクラテス以降の哲学者の答えです。ソクラテスは、その答えとして「魂を完成させることだ!」といったのだと思っています。

 

ソクラテス以前以後 (岩波文庫)

ソクラテス以前以後 (岩波文庫)

 

 

私にとっては、ソクラテスの言う魂の完成というのは、あいまいです。魂とはなにか、それが完成するというのはどいうことかというのは、私もよくわかりませんが、人生には、なにか目標があった方が、格好いいような気もします。おそらく言葉では表現できない直感的なものなのではないかと思います。

たとえば、芸術作品やお笑いを見て、なぜその芸術作品が感動を与えるのか、なぜそのギャグが笑えるのかというのを言葉で分析しはじめると、途端に味気なくなるようなものです。人生の意味を言葉で分析し始めると、遠くなってしまう気がして、ソクラテスが言うような魂の完成なんてないものだと思えてくるのではないかという人もいるでしょう。私はそうではなくて、それは、単に遠くなるだけであって、魂の完成みたいなものがあると考えた方が生きやすいのではないかと思います。

ただ、そのような人生の目標をもったとしても、その目標自体に意味があるかといえば、どうせ死んでしまうのだから、やっぱり意味がないという見方もあると思います。その意見も一理あるのですが、芸術作品も同じで、そうやって目標を否定することは、芸術を否定することに等しいと考えます。

おそらくすべての芸術作品は、目的があるようで無いものです。美術館にいき、芸術作品をみると、なにか意味がありそうですが、実はどれも意味はありません。ただし、いくつかの作品になぜか感動を覚えると思います。それが、おそらく大切で、魂の完成というのはそいうことなのではないかと勝手に考えています。すなわち、人生の意味とは、ひとつの芸術作品を作るということと等しいと思っています。

また、年齢や経験によって、変わってくると思います。同じ芸術作品を見て、前に見た時にはなにも感じだったのに、改めて見ると違うというのもあると思いますし、逆もあると思います。生きる意味もそういうもので、成長に応じて変わってくるのではないかと思いました。

たまたま見た以下のブログを読んで、生きる意味について書いてあったので、それをヒントに書いてみました。

aniram-czech.hatenablog.com