今日、働くことについて考えたこと(人間は見たいようにしか事実を見ない)
今日考えたことは、「人間は見たいようにしか事実を見ない」ということです。
歯の数について、アリストテレスが男性の方が女性より歯が多いと論文を書いた為に、2千年近く間違った認識でいたようです。
あのアリストテレスでさえ、間違えるわけです。
シーザーは以下のようなことを言っています。
●人間ならば誰にでも、現実のすべてが見えるわけではない。多くの人は、見たいと思う現実しか見ていない
科学実験でもどうしても見たい事実に引っ張られて、事実が歪んでしまうことがあります。
ありとあらゆる重要な判断をするときに目の前の事実を見誤ってしまうと、人生を台無しにすることもあります。
そうならない為にどうすれば良いか、考えて見ました。
そのためには、嫌な事実に直面したときに、なぜ嫌と感じるのか冷静に分析することです。
たとえば、
・嫌な上司から、嫌味を言われたときになぜ嫌なのか
・部下からピントのズレたコメントをしてきて、イラっとしたときに、なぜ嫌なのか
を考えるのです。
人が嫌と思うことというのは、大抵、欲望の裏返しです。自分の欲望が、どいうものなのか、冷静に知っていると、ある嫌な事実に直面したときに、自分の都合で考えている部分を排除して見ることができるようになるはずです。
たとえば、いやな上司に嫌みを言われて嫌なのは、本当はその上司に認められたいという欲望の裏返しかもしれません。本当に取るに足らない人だったら無視すればいいのに、気持ちが引っかかっるのであれば、何が原因かむきあうのです。ヘンテコな部下であれば、自分が古いやり方に固執してしまっていないか確認するのです。単に眠くて疲れていて、人の言うことなんて聞けないだけなのかもしれません。そのようにあれこれ考えることによって、自分がどういうことが好きで、それが原因で、事実を見誤ってしまう可能性を認識することができます。
また「これは正しい」と思うのも危険です。話がおおげさかもしれませんが、戦争というのは、「正義のために」、勃発するのが世の常です。ありとあらゆるものを疑い、思考停止しないようにするというのが重要だと思います。
なんでもよいので、テストを受けるというのも意味があると思います。テストは、自分の実力を客観的に示してくれます。ただ、テストは、わかりやすい反面、すべての事実を示してくれるわけではないので、そこによく注意が必要です。
いずれにせよ、嫌なことというのも、自分を知るいいチャンスになると思うので、前向きに捉えることができれば良いと思っています。
一方、上述のように言っていたシーザーは、ローマ帝国拡大に成功することができましたが、ブルータスに最後殺されてしまいます。シーザーは、何を見たいと望んでいたのか、永遠に謎ですが、いつも考えこんでしまいます。