働くことを考えるブログ

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今日、働くことについて考えたこと(一人でできることの限界について)

 今日は、一人でできることの限界について考えました。

一人で出来ることというのは限られているのですが、あまり学校ではならわない気がします。

 

たとえば、テストというのは、一人で受けるものだし、カンニングなんて絶対許されません。部活もそうです。野球で同じポジションを争うよりは、協力して相手に譲った方が良いなんて教える監督なんていないでしょう。

 社会に出ると、一人でできることに限界があること、人間というのは協力によって、発展してきたのかというのが直感的にわかるようになります。たとえば、このはてなブログを書くためには、パソコンやスマホを作ってくれる会社がなくてはならず、パソコンに電源を供給する電力会社・・・などなど、いろいろな企業体・人の協力のもと、やりたいことが出来上がっているのです。

 

繁栄――明日を切り拓くための人類10万年史 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

繁栄――明日を切り拓くための人類10万年史 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

 

上記の本によれば、絶滅したネアンテルダール人は、脳は人類よりも大きかったのにもかかわらず、自分が住んでいる距離の範囲の原料でのみしか道具を作らなかったのですが、我々人類の祖先は、遠く離れた地域の原料から道具をつくっていたことがわかっているそうです。

ネアンデルタール人は、最近は人類の一部という説もあるようで、偏った見方をしない方がいいかもしれないですが)、我々人類は、より広い地域で交流が可能だったので、ネアンテルダール人との生存競争においては、勝利をおさめたのだと思います。こう考えると、人類はずっと何百万年前から、仲間で協力して繁栄してきたのだと言ってもいいましれません。一人で頑張るよりは、いろいろな人と協力するというのはある意味当たり前な気もしたりします。

ただ、学校においては、あまりそのように実感できないのはなぜか心に引っ掛かります。これからは、フリーミアムのビジネスがどんどん進んでいくと思うのですが、フリーミアムは、共存共栄の考え方がわからないとついていけません。

おそらく共存共栄の大切さだとか、一人ではなにもできないことの大切さは、学校でも口では、教えているはずだと思いますが、問題は、なんでそれが伝わらないのか・・・だと思います。

その理由の一つは、やっぱり、教える・教わるという教育がメインだからだと思います。教える人=教師、教わる人=生徒なのですが、その関係が維持される限り、成長するというのは、上の人から教えてもらうことだという意識が強くなると思います。受験も一人でやることもその意識を強化するでしょう。

仲間と共に成長して新しいものを創り出すという経験が限定的だと、なかなか共存すると言われてもイメージがわかないです。これが原因で日本はスタートアップが元気ないのかなとも思います。最近では、その解決方法の一つと思われるアクティブラーニングが少し導入され始めていますが、まだ限定的です。

 

education-career.jp

 

一人でできることって、限られているのだな、もっと人と協力すべきなのだなと思うのが社会に出てずいぶん年をとってからだと、社会的な損失が大きいのではないかと思います。