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今日、働くことについて考えたこと(コストと投資)

今日は、コストと投資についてです。

これは、ちょっと先日少し書きました。接待したとき、それを、コストとして捉えるべきか、投資として捉えるのかみたいな話です。

会計上、保守的に考えるのであれば、出て行ったお金は全てコストと捉えればいいのですが、それだと、究極的にはお金を使わないのが良いということになってしまいます。どの程度であれば、投資として許容されるかです。

 

そもそも、なぜコストと投資に分ける必要があるのでしょうか。

それは、おそらく無駄な出費を抑えるためです。

では無駄な出費というのは、なんでしょう。

たとえば、出費に理由を付けようと思えばいくらでもつけることができます。接待であれば、その交際が将来のビジネスにつながると答えれば良いですし、高級な洋服であれば、身につけることによって、ステータスや気持が高揚するという理由が考えられます。贅沢な食事でも、最終的には栄養になるわけですし、無駄な出費というのは、ほぼないと言ってもいいのかもしれません。

それでも、コストと投資に分ける理由は、おそらく、なんらかの目的に照らし合わせて、無駄なのか無駄でないのかの納得感がほしいということなのだと思います。たとえば、会社がカメラを売る会社であれば、カメラ工場を建設するのは投資として納得しやすいですが、その会社がゴルフ場を買うのは、投資として微妙です。微妙な理由は、その会社がカメラを作るという目的があるからです。このように目的があるとそれに照らし合わせて、無駄か無駄ではないか判断する基準ができます。

 

したがって、当たり前ですが、どの程度、許容できるかは、もともとあった目的て照らし合わせることが必要になります。そこに照れし合わせて許容できるか否かを判断するのです。

ただここで注意しなくてはならなあいのは、2点です。

1点目は、目的というものは、すべてを美化するのに役に立ちます。要するに誤魔化されてしまうのです。たとえば、接待も、人脈を作ってビジネスを拡大させることを目的とした場合、単なる遊びではなくなり、目的によってそれぽっくになります。本当にそれが本当に目的なのか確認する必要があります。

 

 

2点目は、何を目的とするかというの点です。たとえば、勉強はコストなのかというと、一般的には、投資と捉えられることが多いです。一方、ピケティの「21世紀の資本」によれば、残念ながら勉強の投資効果は、一般的な資産の利回りより、悪いようです。

 そこだけの側面を見ると、教育なんてしなくていいし、資産を持ちづづける方がお得という結論になるかもしれません。ただし、そのような計算結果をうのみにすると危険ですし、何を目的とするか次第です。そこは思考停止せず、深堀するのがいいと思いました。

21世紀の資本

21世紀の資本

 

 以上、コストと投資について思いつくままに書きました。ありがとうございました。