今日、働くことについて考えたこと(日本語で議論する)
今日、働くことについて考えたことは、
「日本語で議論する」
ことです。
職場で議論することがあると思います。日本人は、議論が下手だと言われていますが、もともと議論好きなのではないかと考えています。そのことについて考えてみました。
1.議論はたくさんした方が良いと思う理由
私は、議論というのは、たくさんした方が良いと思います。その理由は以下の通りです。
一つ目は、
議論をしていると頭が整理される
ことです。
自分の考え方が議論を通じて整理されるます。反対の意見の人のいうことを聞いて初めて気付くことがあります。そのようなメリットが議論にはあります。
二つ目は、
可能性を広げられる
ことです。
自由活発な議論をするというのは、社会や組織にとって、新たな可能性を切り開くものです。
明治以降日本が発展したのも、日本人が言われているよりもずっと議論好きだからだと思います。
フランシスコザビエルも、日本人が議論好きであったことを言っていたようです。
juliocarlosafrica.blogspot.com
和をもって尊しの文化のような気もしますが、それは表向きであって、日本人は昔から基本的に議論が好きなのだと思います。それが、明治時代以降の発展につながったのではないかと思うのです。ノーベル賞を最近取り続けているのも、日本人の議論好きの文化が花開いているということだと思います。
2.日本語で議論することの問題点
議論好きだからゆえに、逆に、日本人は、昔から和をもって尊しや寡黙に実行することを重んじるようにしてきたのだと考えます。そしてそれはある程度成功して、すくなくとも、公で議論することは減ったのではないかと思います。
特に、公の場で、自分の権利関係に絡むと途端に寡黙になる・迫力がなくなるのが日本語の特徴だと思います。
たとえば、日本のCMは、外国のもの比べて、商品説明が少なく、イメージを売り物にしていることが言われていますが、それは、外国のCMのように、商品内容を日本語で説明し始めると企業側の利権が見え隠れして迫力がなくなるからだと考えています。
また、裁判所・国会というのは、公に自分の権利を議論することが基本的な考え方ですが、あまり好まれないのは、日本語が自分の権利に絡んで議論すると迫力がなくなるからです。
職場において日本語で議論する場合に、なかなかうまく表現できないことが多いのは、上記のような理由があると感じています。日本語では、自己都合に基づく議論が難しくなってしまうのです。言語というのは、時代に合わせて進化するものなので、公で議論することが活発化すれば、日本語が更に洗練されると思います。それを期待したいです。
以上が本日考えたことでした。
日本語で自己都合の議論はしにくいということを考えました。
最後までありがとうございました。