働くことを考えるブログ

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今日、働くことについて考えたこと(完全を追及する)

毎日、働くことについて考えている、がねがねめがねです。

今日考えたのは、

完全を追及する

ことです。

世の中、完全なものはないと思いますが、そのことを追求する意味を考えていました。

 

 

1.プラトンイデア論

 

昔、プラトンという人がいて、ありとあらゆるものには、完全なるものが存在するけれども、人間は肉体を通じてしか物事を見ることができないため、完全なものというを確認できないと主張していました(かなりザックリです)。イデア論というものです。

イデア論 - Wikipedia

たとえば、完ぺきな花もいつかは枯れてしまい、醜くなるは、人間が人間という肉体を通じてしか花を把握しているから醜く見えるのであって、完璧な花というのは存在するのだと主張する考え方です。

ただ、そんなものがあるかないか、人間である以上証明できないです。そのように弟子のアリストテレスは、批判し、イデア論は基本的に否定されています。

私もおそらく世の中に、完全なるものはないというものはないと思います。少なくとも人間である以上はそのようなものに触れることはできないです。たとえば、どんなに理想的な家を得たとしても、どこか欠陥はかならずあるはずです。理想郷と言われる場所にいったとしても、寒かったり、暑かったり、かならずなんらかの欠陥があるはずです。

 

2.それでも完全なものを追求する必要がある

 

どんなにがんばっても、完全なものは存在せず、得ることはできないのであれば、そんなものを目指すのにどんな意味があるのかという気がすると思います。

たとえば、社是みたいなものが会社にあると思いますが、社是に書かれているような理想郷には永遠に到達することはできないのです。そのようなものを目指す意義は何かと考え込むこともあると思います。

どうして、絶対に得られないものを追求する必要があるのかというと

情報の感度が高くなる

ことです。

これは前ブログでも少し書きましたが、情報の感度を高めるには、仮説を持つ必要があると書きました。

deepdeepthinking.hatenablog.com

新聞を読むにしても「こういうことなのではないか」と仮説を持った方が、情報の感度は確実に上がります。

それと同じように、「こういうのが完全なのではないのか」と常に仮説を持っていれば、それに向けた情報の感度があがり、吸収する情報量があがるはずです。このようなメリットが完全を追求することにはあります。

 

以上が本日考えたことでした。

社是のような完全な理想郷というものは、存在しないけれども、それをもっていると、少なくとも情報の感度は高まるということを考えました。

最後までありがとうございました。