働くことを考えるブログ

充実した生活を送る

今日、働くことについて考えたこと(冷静でいられるには)

今日、働くことについて考えたことは

冷静でいられるには

です。

どんなことがあっても冷静でいられる人がいますが、そのことについてかんがえていました。

 

 

1.なぜ冷静でいられると良いか

逆境の時や普通の人であればプレッシャーで押しつぶれそうになってしまうときでも、冷静に入れる人がいます。

なぜ冷静でいられるとよいかというと二つあると思います。

一つ目は、

流されない

からです。

流行りが廃れたり、上の人が変わって方針が変わるなど、置かれている状況というのは、常に変わっていきます。その際に焦らずに冷静に対処して、安心していられる人というのは、人生の達人だと思います。

 

二つ目は、

信用されること

です。

どんなに過酷な状況にあったとしても、淡々と仕事を進められる人は、安心感があります。情熱的に働く人も必要ですが、その人の周りに、冷静に先が見える人というのは重宝され、信用されるものです。

 

2.常に冷静でいられるには

 

それでは、冷静でいられる人というのは、どうやったら冷静にいられるか考えてみました。

三つ方法があると思います。

一つ目は、

他人の利益が、なにかについて考える

ことです。

動揺する場合というのは、自分の利益が脅かされることですが、究極のところ、自分の利益を度外視すれば、動揺することはないはずです。自分の利益をまったく無視することは出来ないですが、少なくとも他人の利益が何か考えていれば、自分の利益というのは相対的に低くなり、冷静にいられると思います。

 

二つ目は

予測を立てること

です。ただ何も考えずに時の流れ身を任すよりは、ある程度予測を立てて、その時々の最善の選択肢を考え続ける方が、何かあったときの反応の素早さが違いますし、冷静に情勢を分析することができます。予測を立てるということは、リスクを管理することでもあります。なにがリスクになるかというのを踏まえておくと、冷静でいられるはずです。

 

三つ目は、

教養をつけること

です。教養をつけると難しいことかもしれませんが、いろいろな観点から学ぶというのは冷静でいられることにつながります。ある事象をいろいろな学問で眺めてみると、違った結論になります。教養を身につければ身につけるほど、いろいろな解釈の方法を学ぶことができ、ある事象がつなげる結論を予測しやすくなり、冷静にいられると思います。

 

以上が本日考えたことでした。

冷静でいられることのメリットや方法を考えました。

最後までありがとうございました。

今日、働くことについて考えたこと(貨幣のすごいところ)

今日、働く事について考えたことは、

貨幣のすごいところ

です。

働くことを考えることにおいてお金は切っても切れない関係ですが、そのことについて考えてみました。

 

 

1.貨幣のなにがすごいのか

貨幣がなにがすごいかというと、万国共通に信用されていることです。太陽が明日必ず上るのと同じように、ほぼ万人が皆信用するものです。

政治の考え方が違っても、宗教の考え方が違っても、貨幣だけは信じられ、交換されます。イスラム教のテロリストも、どんなにアメリカを批判していたとしても、ドルの価値は信じるのです。

言語が通じない相手からも、お金でものを買うことが出来るというのは画期的な発明だったのではないかと思います。そのあたりは以下の本でも書かれています。

 

サピエンス全史(上)文明の構造と人類の幸福

サピエンス全史(上)文明の構造と人類の幸福

 

 貨幣以外で人間が作ったもので、ここまで信用されているものはありません。どんなに高尚な学問でも、完璧に信じられるものはないのです。

 

2.なぜ貨幣は万国共通で信用されるのか

お金をよくみると、わかりますが、紙もしくは、電子情報でしかありません。かなりのエネルギーを割いて信用されるものにしています。なぜ、お金は信用されているのか二つ理由があります。

一つ目は、

人間というのは、協力することと疑うことのバランスで繁栄してきたこと

です。

人間は、基本的に自分と違う文化、言語、行動する人に対して、自分に害を及ぼすかのではないかと疑います。無闇に信じたら、騙されることもあるからですが、人間は、協力することによって発展してきた生物でもあります。疑うことと協力することの間にうまく入りこんだのが貨幣だと思います。

上記の本にも書かれていますが、ネアンデルタール人が滅び、我々人類が生き残ったのは、我々人類は、知らない仲間であっても協力することができたからです。ネアンデルタール人の遺物には、自分達の生活圏内の石で出来た石器しか発見されないのですが、人類の石器は遥か遠くの鉱物からできた石器が発見されるそうです。これは、人類の祖先がかなり広範囲で協力してきたことの証です。

その協力を促しているのが、現代でいえば貨幣です。お金は、言語や文化が異なっても、協力して仕事をさせることが可能にします。どんなに高邁な理想を掲げる企業でも、お金が払わなければ、経営は成り立たないのですが、お金が支払われれば、文化や言語の壁を超えることができるのです。

 

もう一つは、

数字にゲーム性があること

です。

100となっていたら1000にしたいのが、人間の性質だと思います。お金をつかった賭け事というのは、生物の中で人間のみがやることだと思いますが、数字自体にゲーム性があるから成り立つのです。

 

以上が本日考えたことでした。

貨幣のすごいところは、色々な主義主張がある中で、万国共通に信頼されていることを考えました。

したがって、個人的には、シンギュラリティが発生すると貨幣自体が無くなるような議論があるようが、以上を考えると上記のような特徴を代替できるものが現れない限りは、貨幣は無くならないと思います。

 

「30年以内にお金の世界を終わらせたいんです」- 慶應大・斉藤賢爾博士が語るシンギュラリティ後の社会とは – academist Journal

最後までありがとうございました。

 

今日、働くことについて考えたこと(自分の可能性を見極める)

今日、働くことについて考えたことは

自分の可能性を見極める

ことです。

年齢が重なっていくと、自分の可能性を適切に見極める力が必要になると思いますが、それについて考えてみました。

 

 

1.自分の可能性は変化するもの

 

年齢を重ねると昔あった可能性というのは、少しづつなくなっていきます。小さい頃は、プロ野球選手から始まり、ユーチューバーなど色々な可能性があるのですが、現実的に難しいことに気付きます。

それは、社会人においても同様です。社会人になると、積み重ねたキャリアによって、いつのまにか選択肢が狭められていることがあります。立派なキャリアがあったとしてもそうです。

 

ウサイン・ボルト氏は、陸上選手の現役時代において、人類史上最速のスプリンターと呼ばれた方ですが、最近プロサッカー選手を目指しているようです。

news.livedoor.com

 

サッカー選手というのは、年齢的に+10すると社会人としてイメージが近いと言われています。たとえば、サッカー選手の20歳ぐらいだと、社会人で言うと30歳前後の活躍層、30歳ぐらいだと、社会人でいうと40歳ぐらい中堅のイメージです。

ボルト氏はいま30歳ぐらいなので、普通の会社で言うと40歳ぐらいの人が、まったくキャリアない中で、新しく自分の職場に転職してきたイメージです。ウサインボルト氏は、サッカーに詳しい人のようなので、おそらくそのあたりもわかって挑戦しているのだと思います。

その挑戦自体は、称賛に値することです。ただ、おそらく、ウサイン・ボルト氏は、あれだけの身体能力のある人なので、もっと早い段階であれば、よりサッカー選手としての可能性も高かったのではないかというのが、一般的な評価だと思います。

どんな優秀な人でも、時間がたてばキャリアの可能性というのは、少しづつ狭まっていくのです。

 

2.可能性が狭まることを素直に受け入れる

 

選択肢AとBがあり、Aを選んだとしても、Bを選んだとしても、どちらを選ばなかったとしても、昔あった可能性というのは、狭まって行きます。

可能性が狭まることというのをちゃんと受け止めるということは、大切だと思います。二つ理由があります。

一つ目は、

無駄な消費になってしまう可能性がある

からです。

可能性をうたう商法はいろいろとあります。サプリ、自己啓発セミナー、資格予備校等のマーケティングの本質は、新たな自分の可能性を想像させることにより、消費させるというところにあります。そこを冷静に見極めるには、自分の可能性が狭まることをちゃんと受け止めることが重要なのです。

二つ目は

今までになかった新たな可能性につながる

ことです。

冷静に自分の可能性を見極められるということは、今出来る範囲で新たな可能性を追求することができることと同義です。

本当に自分がやりたいことは何なのか、というのをきっちり見極めることが出来ることが、次につながるはずです。

 

以上が本日考えたことでした。

自分の可能性を見極め受け入れることを考えました。

最後までありがとうございました。

 

 

 

今日、働くことについて考えたこと(組織の維持)

今日働くことについて考えたことは

組織維持

です。

本来組織というのは、何かの目的があって、その目的が達成されれば、組織はなくなるべきなのですが、名目を変えて組織が維持されることがあります。そのことについて考えてみました。

 

 

 

1.組織が手段であれば、組織のあるべき姿~オーシャンズ11など

組織というのは、本来何かの目的の為にの手段であるはずです。

イメージでいうと、オーシャンズ11のような感じだと思います。それぞれ役割があって、集められて、プロジェクト達成後に即解散するべきなのですが、日本において、そのようなことはほとんどありません。

オーシャンズ11 - Wikipedia

 

2.なぜ組織維持が目標になってしまうのか

当然のことながらオーシャンズ11のようなケースはまれで、まずは箱、組織ありきの事はよくあります。

 

なぜ、そのようなことが起こるかというと、二つ理由があります。

一つ目は、

組織に所属することは楽しい人もいるから

です。

毎日顔合わせれば、自然と仲良くなるのが、人情だと思います。

また、人によっては、組織があるとポジションが得られる人がいます。その人にとっては、ポジションに得られることによって承認欲求が満たされたりするわけです。

二つ目は、

組織の目標をなかなか達成しないものにしている

ことです。

たとえば、「ゆたかな社会を実現する」「一人一人の幸せに応える」などです。これらの抽象的な目標は、明確に否定することはできないものの、達成がなかなかできないものです。

このような曖昧な目標で組織の維持を実現するのは、複雑なプロセスによってのみ達成することが可能で、至難の業なのですが、このような曖昧な目標で組織が維持されるのは、事実だと思います。

 

3.自分が所属する組織の目的を分析してみる

 

組織維持自体が本音の目標というのは、文面という形で共有されることはありません。多くが不文律なのです。その不文律を読み取れず、「何の為にこのような組織があるのだ」言って正面から、組織に切りこもうとすると、イバラの道が待っています。

自分が所属している組織が、表の目標ではなくて、裏の目標(本音)で、どのような目標を持っているか分析するというのは大切です。

どうやって分析するかというと、思考実験をしてみることです。たとえば、自分にその組織においてそれなり権限があって主導して所属する組織を解散させようとしたときに、どのような反応があるか考えてみることです。

そうすると自分の所属している組織が組織維持を目標としているか否かを確認できると思います。

 

以上が本日考えたことでした。

組織というのは、手段であるにも関わらず、目的になっていることがあるということをかきました。

最後までありがとうございました。

 

 

 

今日、働くことについて考えたこと(イドラ~その2)

 

毎日、働くことについてかんがえている、がねがねめがねです。

今日、考えたことは、昨日に続き、

イドラ

です。

イドラというのは、人間が何かを知ろうとした時に陥りやすいボトルネックのことです。昨日は、4つのイドラの内、自然性質のイドラと個人経験のイドラについて触れました。今日は残りの二つとなぜイドラが生じるのか考えました。

※昨日の書いたブログは以下の通りです。

 

deepdeepthinking.hatenablog.com

1.イドラ(伝聞によるイドラ、権威によるイドラ)

昨日は、4つのイドラの内、自然性質のイドラと個人経験のイドラについてふれました。残りの二つは以下の通りです。

一つ目は

伝聞によるイドラ

です。

これは、噂話で見誤ってしまうことです。噂話だけで物語を信じるというのは、ありえなさそうで、よくあると思います。

たとえば、「他社はこういうことをやっているらしい」とか「社長はこういうのを好みだ」といって、本当に正しいのか検証せず行動するということはよくあります。

二つ目は

権威によるイドラです。

「あの人が言うなら間違いない」だとかいって疑いもせず、うのみにしてしまうことです。

たとえば、成功したあの人がいったのだから正しいに決まっているとか、学会の権威がいったから絶対に真実だという考え方になっていないか確認する必要があるでしょう。 

 

2.なぜイドラが生じてしまうのか

なぜこれらのイドラが生じてしまうのかというと、三つ理由があると思います。

一つ目は、

自分の経験を生かしたいと思ってしまう

ことだと思います。

たとえば、何かに失敗してしまったとか、傷ついてしまった経験ということに対して、なんとか取り返したいと思うこともあると思います。自分が経験したことを役に立てたいという願望があると、個人経験のイドラに惑わさせれてしまうと思います。

二つ目は、

思考停止した方が楽だから

です。

なにも考えずに、権威者が言った事を信じることができれば、楽です。それをいちいち疑うのは面倒なのです。

その場合、注意しなくてはならないのは、トレードオフの関係であることを踏まえておく必要があることだと思います。トレードオフというのは、何かを得る場合は何かを失う関係にあることです。

権威者が言った事をそのまま信じて仕事を進めれば、仕事は早く処理することができますが、大間違いしているリスクを背負ってしまう可能性があります。疑わず信じることには、デメリットもあるということを常に心がけることは大切だと思います。

三つ目は

どうしようもないことに対して説明をつけたい

というのもあると思います。

たとえば、おそらく科学がここまで発展していなかったときは、理不尽な運命について、まったく関係のない、星の動きなど目の前にある事象で、なんとか自分の運命を受け入れていたのだと思います。

今も運命について科学で説明できることは僅かです。理不尽な運命であったとしても、こじつけでも何か理由があれば、なんとか気持を慰められるのは、今も昔も変わらないはずです。そのような辛い時にでも、どれだけ冷徹にイドラを排除できるかというのは、知識を得る上で一つ重要なテーマになります。

 

以上が本日考えたことでした。

本日は、イドラの内、伝聞によるイドラと権威によるイドラに触れて、なぜイドラが生じるかを考えました。

最後までありがとうございました。

今日、働くことについて考えたこと(イドラ~その1)

毎日、働くことについてかんがえている、がねがねめがねです。

今日、考えたことは、

イドラ

です。

イドラというのは、イギリスの哲学者フランシス・ベーコンが指摘した、人間が何かを知ろうとした時に陥りやすいボトルネックのことです。仕事にも応用できる視点だと思うので、そのことについて考えてみました。

※書いていたら長くなったので2回に分けます。

 

 

1.イドラを提唱したフランシス・ベーコン

 

フランシスベーコンは、16世紀から17世紀に活躍した哲学者です。

帰納法の考え方で有名な人です。帰納法というのは、ボトムアップである事実を見つけるという方法です。かなり、ざっくり言うと、1、3、5…と数字が並んでいたら、2つずつ増えているから、次は7だなと考えるのが帰納法です。

そのフランシスベーコンが提唱したのがイドラです。

イドラとは、以下にも書かれていますが、人間が生じやすい誤解の要因です。

イドラ - Wikipedia

 

2.イドラ(自然性質によるイドラ、個人経験によるイドラ)

フランシスベーコンに言わせると4種類あると言われています。そのうち、本日二つ書きます。

 

一つ目は、

自然性質によるイドラ

です。

 

人間も自然の一部なので、人間の特質上どうしても、現象を誤って捉えてしまうものです。たとえば、太陽は、大きさがかわらないのに、地平線に近づいて来るとと大きく見えてしまうというものです。

また、人間には、無作為あるいは無意味な情報の中から、規則性や関連性を見出す知覚作用があるようです(アポフェニア)。これも自然性質のイドラだと思います。

アポフェニア - Wikipedia

仕事をしていると、データを見て、正しい法則性を見い出す必要があることもありますが、自然性質のイドラという観点から見直すことも大切だと思います。 

 

二つ目は

個人経験によるイドラ

です。

要するに個人の経験に基づいていろいろと判断してしまうということです。

たとえば、過去に似たような顔の人が仕事ができなかったので、その人に似た顔をしているからその人が仕事ができないと決めつけてしまうようなものです。

過去であった人と新たに出会った人では、たまたま顔が似ていただけで仕事の実力はまったく違うはずなのですが、人の力量を、個人の経験に基づいて見た目を重視しすぎてしまうのは、まさしく個人経験によるイドラだと思います。

 

以上が本日考えたことでした。

自然性質によるイドラ、個人経験によるイドラを書きました。明日は、4つのイドラの内、あと二つを書きます。

最後までありがとうざいました。 

 

今日、働くことについて考えたこと(手段の目的化)

毎日、働くことを考えている、がねがねめがねです。

今日働くことについて考えたことは、

 「手段の目的化

です。

働いていると、手段だったものがいつの間にか目的になってしまうことはよくあると思います。そのことについて考えてみました。

 

1.手段の目的化とは

手段の目的化とは、いろいろな場面で遭遇します。

たとえば、「お金持ちになりたい」というのもそうです。

お金持ちになることは悪いことではありませんが、お金というのは本来使わないと意味のないものです。それを貯めてどうするのかというのを考える必要があります。

会社の組織もそうです。本来であれば、組織にもなんらかの目的があり、それを達成すれば、解散するはずが、いつの間にか組織が維持されること自体が目的となってしまうことはたくさんあります。

売り上げ目標もそうでしょう。売上を達成することが目的ではなく、その商品の良さを広めることが目的のはずです。

このようにいろいろなところで手段の目的化が行われていると思います。

 

2.なぜ手段の目的化がおこってしまうのか

なぜ手段の目的化がおこってしまうのか、2つ理由があると思います。

一つ目は、

目的を共有し難い時代だ

ということです。

現代は、相対的に考える傾向があります。

すなわち、「みんな違ってみんな良い」ということが平気で言える時代です。

そういう時代だと、それぞれがそれぞれの目的を持つことが許容されます。ひとつの目的に対して違和感を感じてしまうのです。

たとえば、「世の中になるためにこの商品を売る」とか「世界発展のためにこのサービスをやる」という目的を共有しようとしたときに、うさんくさいなと思うことがあると思います。それぞれがそれぞれの目的を持って仕事を取り組むことが許されている中で、そのような一つの目的を純粋に信じさせるというのは、かなりのカリスマ性や技術が必要です。大概の場合は、そのような抽象度の高い目的を示すよりは、単純に「売上10%増やす」とか数字で目標を示し、手段が目的に変えられてしまうのです。

 

二つ目は、

手段自体が楽しくなってしまう

ことです。

たとえば、人生の中で使いきれないお金を持っている人は、お金をためること自体が楽しくなってしまったからだと思います。

数字とういうのは増えていくと楽しかったりします。100が1000になり、1000が10000になれば、楽しいです。

会社の組織もそうです。組織の目的がなくなったとしても、一緒にいて楽しい仲間というのはいるはずです。

目的を達成するためには、手段が楽しい方が良いのですが、楽しめる手段というのは、目的化しやすいと思います。

 

3.手段の目的化を防ぐには

上記のような理由から手段というのは、すぐに目的化しやすいと思います。

これを防ぐには、

とにかく目的を考える

しかないと思います。

自分がやっていることは、本当はなにを目的としているのか、この組織は、何のために存在しているのか、常によく注意して考えないと、すぐに手段だったものが目的化されてしまいます。充実した人生を送るためには、しっかりとした目的を持つことが肝要なのです。

 

以上が本日考えたことでした。

現代は、手段がすぐ目的化してしまうことを書きました。

最後までありがとうございました。