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グローバリゼーションと無限について

 私は、グロバリゼーションというのは、18世紀にできた啓蒙思想が広がっていったということと捉えています。そしてグローバリゼーションの時代において、無限の可能性があるということを肯定した方がいろいろな場面において存在意義を示しやすいということを述べました。

 あまり詳しくはないのですが、おそらく共産主義というのは、どちらかというとこの無限の可能性があるという思想というよりは、逆で、有限を前提としていたのではないかと思います。

 地球資源という観点で議論すれば、資源には上限があってみんなで仲良く生きていきましょうというのが、共産主義の本来の狙っていた姿なのではないかと考えているのです。そして、人の可能性は有限なのか無限なのかどうなの?といYou うのが19世紀中頃から争われていたというのが、私なりの歴史の見方です。そして、冷戦がおわり、共産主義がほぼ否定されたことにより、人類史上に存在したリミッターがはずれたのが現代なのだと思います。リミッターというのは、盲目的に無限の可能性を信じることを禁じるものです。

 たとえば、ちょっと話が飛びますが、仮面ライダーシリーズというのがあります。開始した当初は、仮面ライダーだけでした。それがいまや40ぐらい仮面ライダーがいます。おそらく仮面ライダーの種類を増やした方が売れるからです。売れればどんどん増えていくのが資本主義です。売れれば良いのかよ?という考え方、資本主義に反対する考え方が共産主義なのではないかと思います。

 この資本主義的な考え方についていけるか否かが、いいか悪いか別にして、これからの会社員で重要です。

 ところで無限の可能性があるとはどういうことなのでしょうか。本当に無限の可能性が存在するのか疑問に思う人もいると思います。

 私も無限の可能性があるというのは、ないものをあると言っているのと同義だと思います。

 無限というのは、人間がつくった勝手な概念だと思います。たとえば、高校の数学では1≒0.99999・・・・と、9が永遠に並べば、1になるという考え方をしています。直感的に9が永遠に並んだら、それは、あくまでも0.9999・・・であって、1ではないのではないかと思います。こう考えるとやはり、これは、決めの問題なのでしょう。

 実際にあるかどうかよくわからないけども無限の存在を肯定することが会社員として重要たと思います。これはマネジメント目線に他なりません。

 よく強調されるマネジメント目線というのは非常に曖昧ですが、私は要するに不可能を可能にする、ないものをあるというのがマネジメントだと思います。一歩間違えればパワハラで、それぞれの人権を踏まえなくてはなりませんが、マネジメント目線というのはそういうことです。

 たとえば200年前には鉄の塊が空を飛ぶことはないと信じていた人が大半だと思いますが、現在は、飛行機として鉄の塊が飛んでいるのです。そういうことがあるのだと信じて仕事することが求められてるのです。ないものをある、不可能を可能にすること、そこをいくつになっても追い求めれば、グローバリゼーションで競争が厳しい中でも、職に困ることはないでしょう。