働くことを考えるブログ

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今日、働くことについて考えたこと(論理性を超える)

今日、考えたことは

論理性をこえる

ことです。

論理的であることは、重要なのですが、そればっかりに頼ると、実は安易になりがちだということを考えました。

 

1.論理的であることが求められる

 

学校では、ただひたすら、論理的であることを叩き込まれます。

1+1から始まり、「ああすれば、こうなる」という論理をずっと教え込まれ、それをいち早く吸収できた人が、学校においては優秀だとされます。特に日本においては顕著かもしれません。

そして、そのまま社会人になると、「仕事をすれば、お金を得られる」だとか、「これだけの結果を出しているから、出世できる」という発想をすることになります。そして、「ああすれば、こうなる」の「こうなる」の方が見えないもの、すなわち、結果の見えないものに対して、二の足を踏んでしまうことが多いですし、「ああしたのに、こうならない」という事象に対して戸惑ってしまうこともあります。

また、多くの会社は、論理的に飛躍するのを認めていません。たとえば、「ああすれば、こうなる」がきっちりと説明できないと、上場会社としては、失格です。赤字になった理由に対して、なんの対策も説明できなければ、上場廃止せざるを得ないでしょう。

 

2.大きな成長には、論理を飛躍する必要がある

 

ただ、世の中、「ああすれば、こうなる」ということは、ほぼ稀で、筋の通らないものの方がほとんどです。

例えば、絵画というのは、論理的に考えると、描いた面積が大きければ、大きいほど価値が上がるはずです。作品にかける時間がその方が大きいからです。ただ、そんなことは、絶対にありえません。

それでは、大きさではなく、絵画の価値は何なのかというと、おそらくそれは、論理を超えたところにあるはずです。

絵の良さを、論理的に説明しようとしたら、説明しようとすればするほど、説明出来なくなると思います。お笑いを解説し始めると、急につまらなくなるようなものです。

「ああすれば、こうなる」という論理は、ある意味わかりやすいのですが、それ以上の価値がうまれないのです。

仮にキャリア的に踊り場にいるということであれば、論理的に飛躍する必要があるのです。すなわち、自分の対価以上に仕事をしてみるとか、与えられている役割の範囲を超えて仕事をしてみるなど、「ああすれば、こうなる」という論理の「こうなる」の方にしばられない行動をしてみると、違ったものが見えてくるはずです。

筋の通らないものを乗り越える・受け入れることが、ほぼ成功するか否かを決めていると言っても過言ではないと思います。

 

以上が本日考えたことでした。

「ああすれば、こうなる」という考え方を疑ってみるということを考えました。

最後までありがとうございました。