今日、働くことについて考えたこと(自然体)
今日、働くことについて考えたことは、
自然体
です。
自然体でいるというのは、なかなか難しいですが、そのことについて考えてみました。
1.自然体でいる・・・
自然体で言われると、若干胡散臭さを感じてしまうこともあります。
なぜなら、「自然体ってなんだ?」という質問に対して、うまく言葉で伝えることはできないからです。
リラックスした状態のことのかというとちょっと違う気もしますし、やや定義が曖昧です。そのような定義があいまいなものというのは、胡散臭く感じてしまうものです。
「人間として成長する」
「根性で乗り切る」
など、社会に出ると、曖昧な定義でいろいろと説明されてしまうことがあります。
学校や業績の良い会社というのは、何が優れているかというと、曖昧な定義というのが徹底的に排除されているところだと思います。そのようなコミュニティしか住んだことのない人にとって、「自然体でいる」というような曖昧な言葉で説明されると、びっくりしてしまうこともあります。
2.自然体で出世する人
それでも、定義が曖昧であっても、ぼんやりとは分かるものというものは、いくつかあります。
たとえば、出世です。
出世というのは、仏教用語で、本来、社会から出家することでした。それが転じて、社会的な地位が上昇することです。
社会的な地位があがるというのは、わかりやすいですが、よく考えてみると、その地位も常に曖昧だったりします。そこが良く分かっている人は、出世できる人です。
歴史上の人物では、ジュリアス・シーザーが最も自然体で出世したなのではないかと思います。シーザーは、自分の名前を、そのまま皇帝の地位を意味するようにしました。政治的に高度なことをやり抜けたと思います。ドイツ語の皇帝を意味するKaiser(カイザー)はシーザーが語源です。
これがどれぐらいすごいかというと、「社長」という役職を自分の名前にするようなことを想像してみるとわかります。いくらナルシストの社長でも、自分の名前をそのまま役職にする人はいないですし、それについていこうとする人はいないでしょう。
以上が本日考えたことでした。
自然体でいることを考えました。
最後までありがとうございました。