働くことを考えるブログ

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今日、働くことについて考えたこと(業務効率化)

今日考えたことは、業務効率化のことです。

 

二、三日前にすこし触れました。業務の効率化に終わりがあるのかという話です。

 

ある業務があって、その業務を効率化することが出来たとき、その業務を眺めているともう完璧で、なにもすることがないような気がしたりします。そうすると、別の人が来て、その業務を見直してみると、また新たな見直し点が見つかったりもします。そして、それを潰しこんで、改善すると、別の人が来て違う切り口で改善する、、、みたいなことが起こったりします。そうすると、突き詰めたら、この業務ほとんど、負荷がゼロになってしまうのかと思ったりもしますが、現実的に想像できません。

 

たとえば、皿洗いであれば、

 

手で皿をあらっていたのを機械であらうように変えてみた

    ↓

(これ以上改善の余地はなさそうに見えたが)、機械の中でお皿のおく場所を、変えてみたら、洗う時間の短縮化につながった。

    ↓

(これ以上改善の余地はなさそうに見えるが)、効果抜群の洗剤が新しいのが出た…

 

みたいに、皿洗いという業務もどんどん効率化出来てしまいそうという話です。

 

私は、個人的には、業務効率化というには、ほぼ終わりがないと思います。そう考える根拠は二つあります。

 

一つ目は、直感的ですが、不完全性定理というものです。数学の知識がないとよくわからない部分もあるのですが、不完全性定理が示唆しているのは、どんなに体系立って完璧なものを作ったとしても、かならず例外が出て来てしまうということだと思います。たとえば、生物を、哺乳類、爬虫類とか分けていっても、カモノハシのような例外がかならずあります。

ゲーデルの不完全性定理 - Wikipedia

業務効率化も同じだと思います。完全な業務と思っても、かならす何らかの例外が出てきて、それを叩いても叩いても、また、出てくるというものだと思います。

 

二つ目は、前提が変わるというのもあります。たとえば上記の皿洗いの例でいけば、紙袋が存在しない前提であれば、皿を洗い続けなくてはなりませんが、マクドナルドのように、そもそも皿を使わなければ、皿洗いの業務はなくなります。

 

そう考えると、業務改善に対して、ネガティブな反応をする人もいるのかもしれません。いくら改善しても、結局、不完全なものがあるのだから、やっても意味のではないかというわけです。

 

ただ、トヨタは、改善を続けてあれだけの企業になったのだと思いますし、トヨタの業務効率化が意味無いという人は少ないと思います。また、なにか必ず改善できるところがあるはずだと思うことは、思考能力を高めてくれると思います。100メートル走を0.01秒でも早く走るように目指すと、実力を高められるのと一緒です。

 

以上、業務効率化について考えたことでした。ゲーテルの不完全性定理について、入門書としては以下がいいのではないかと思いましたのでリンクをつけておきます。

 

無限論の教室 (講談社現代新書)

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