働くことを考えるブログ

充実した生活を送る

今日、働くことについて考えたことは(曖昧さを受け入れる)

今日、働くことについて考えたことは、

曖昧さを受け入れる

ことです。

働いていることは、すべて曖昧なもので成り立っていることを踏まえる必要があるのですが、そのことについて考えました。

 

 

1.本当にすべて曖昧なのか

 

すべて曖昧なのだと言って、反論があるかもしれません。

想定される反論としては、数字の観点でしょう。数字は嘘つかないという人は、数字にやられてしまう可能性があります。

たとえば、数字というのはいくらでも書き換えが可能なのが、最近のゴーン事件の報道でもわかります。実際にいくらゴーン氏に報酬として払われたと認識していたかというのが争われそうてすが、それは数字が作為的に変わることを示していると思います。

我々は、人間が作った巨大なシステムというものに、曖昧さがないと考えがちですが、所詮人間が作ったものはすべて曖昧なのです。

一日世界中で30万便飛んでいる飛行機も、飛行機が飛ぶ原理というのはよくわかっていません。そのことは以下の本にも書かれています。

 

99・9%は仮説 思いこみで判断しないための考え方 (光文社新書)

99・9%は仮説 思いこみで判断しないための考え方 (光文社新書)

 

 

2.曖昧さを受け入れる

したがって、曖昧なものだといって無視するのはよくありません。

自分が信じているもの自体も曖昧だからです。よくわからないな、整理されていないなと言って、聞かないというのは、自己否定でもあるのです。そのような場合は、とりあえず、論理を無視して、何を言おうとしているのかというのを理解する心がけが重要です。

ただ、すべて曖昧なのだからといって、曖昧なまま放置するのも、良くないと思います。学問というのは、基本的に曖昧なものをなるべく曖昧にしないようにしてきたものです。ソクラテス無知の知から始まり、学者が曖昧さを排除しようとしてきたおかげで、ある程度便利な世の中にはなった、長生を享受できるようになったと言えると思います。

曖昧だからと言って馬鹿にししてはならないけれども、曖昧だからといって追求することをやめてはならないのです。

 

以上が本日考えたことでした。

曖昧さを受け入れる度量について考えました。

最後までありがとうございました。