働くことを考えるブログ

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今日、働くことについて考えたこと(時間に追われたときどうするか)

今日は、時間に追われたときどうするかということを考えました。

とにかく忙しいということがよくあります。そういう時に限って仕事を頼まれたりします。「こっちが忙しいことわかってないのかよ」とか思ったりしながらも、そこは口に出さず、ちょっと今忙しいので、と言って断ることがあります。

 

ただ、以下の本で、ペンシルベニア大学の研究者たちによると、誰かの手助けに時間を使った人の方が、自分の好きなように時間を使った人たちよりも「時間がない」という感覚が和らいだとのことでした。つまり、人助けをすると、もっと時間があると感じるようになったそうです。

 

 

スタンフォードのストレスを力に変える教科書

スタンフォードのストレスを力に変える教科書

 

 

ちょっと、眉つばだと思う方もいるかと思います。確かに、元の英文の研究論文を探してみましたが、見つかりませんでした。

 

しかし、時間というのは、もともと結構曖昧なものだと思います。わかりやすい例でいけば、年をとればとるほど、1年が短く感じたりするものです。

 

特に、忙しいときは、冷静に時間について考える余裕がないと思いますが、自分が忙しいと思っているのは、思いこみの可能性もあると思ってみても良いのかもしれません。

 

よく最も忙しい人に仕事を頼むのが良いということをいう人もいますが、あながち間違いでも無い気もします。仕事のできる人は、いつ電話しても、すぐに対応してくれます。そういう方と接すると、忙しいはずなのに、なんでこんなことができるのだろうと思っていましたが、おそらく、上記のような考え方が自然と身についているのだと思いました。

 

上記の本によれば、いつもやっていること以外に、一日ひとつでも良いので、誰かの役に立つ機会を探して実施するといいと書いてあります。実践できればと思いました。

 

今日、働くことについて考えたこと(出世について)

今日は、出世について考えました。

出世について、一般的には、役職が上がることを指します。ただ、最近は役職名が上がっても、給与が伴わないこともあったりしますし、権限が限られていたりする場合もあります。

一般的に「出世したい」というのは、はばかれていますが、その理由は、おそらく、昔のように夢がない感じがするからなのだと思います。現代にあった出世というのがあるのではないかと思いました。

その観点から、改めて出世とは何か考えてみました。三つ特徴があるべきと思います。

 

一つの目は、仕事の裁量が認められる、自由に仕事が出来るということです。いくら世間から出世したと言われても、自分で決められる部分が限定的だったら、必ずしも出世ではないとも思います。本来出世という言葉は、世俗から出る(出世間)こから由来しているそうです。その意味を現代風に考えると、裁量権があるということなのではないかと思います。

gogen-allguide.com

 

二つ目は、働いたインプットに対して、社会への影響力が大きくなる事だと思います。いくら裁量があっても、アウトプットの影響が小さければ、出世とは言えなさそうです。会社の社長になることもそうですが、それには限らないと思います。ネットであれば、ネットでの発言力に対して、影響が大きくるなるのも、出世と言えば出世なのではないかと思います。

 

三つ目は、相応の義務や責任を負うということです。会社の社長であれば、業績であったり、ネット社会であれば、発言に対し責任を負うことです。ネットで炎上商法というのがあるようですが、あれも、インプットに対してアウトプットの影響力は大きいです。ただ、言いっ放してはなく、その発言に対して責任を負うことで初めて出世したと言え、人から尊敬されると思います。

 

これらが、現代にあった出世だと思います。それではどうやったら出世できるのか、考えてみたいと思います。

 

まずは、与えられた仕事の存在意義を追及することだ思います。たとえば、レストランで働いているのであれば、なぜこのレストランはこの地域に存在し、近くのファミレスとはどこが違うのか、追及するのです。そうすれは、自ずと、するべきことが見えてきます。

以下の本でも似たようなことが書かれています。なんであいつが出世するのだ、と疑問に思うことは多々あるかもしれませんが、出世するは、自分なりにその業務の存在意義をきっちり抑えていたりもします。その観点から、存在意義を追及して実力をつけると、会社でも出世しますし、他の分野でも出世すると思います。

 

 

もう一つは、前にも書きましたが、いろいろな人に貸しを作ることですね。詳しくは以下にも書きました。

 

deepdeepthinking.hatenablog.com

 

出世というと、従来は、会社や所属する組織で地位があがることでした。出世するというそもそもの意味からすると地位が上がるというのは、その一部分しかあらわせていないと思います。改めて定義から考えて、その意味を考えると、少し出世することに希望が持てるかもしれません。

今日、働くことについて考えたこと(フリービジネスモデルとプロスペクト理論)

今日、働くことについて考えたことは、フリービジネスとプロスペクト理論です。

フリービジネスについては、以下が数年前に売れましたが、プロスペクト理論の観点から少し考えてみたいと思います。

 

フリー[ペーパーバック版] 〈無料〉からお金を生みだす新戦略

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 プロスペクト理論というのは、以下のような選択肢が与えられたときに、両者はいずれも期待値が100万円にも関わらず、質問1ではAを選び、質問2ではDを選ぶというものです。その理由は、人間は、損をすることのほうが、得をする方に意識が向いてしまうという理論です。

 

質問1:あなたの目の前に、以下の二つの選択肢が提示されたものとする。

選択肢A:100万円が無条件で手に入る。
選択肢B:コインを投げ、表が出たら200万円が手に入るが、裏が出たら何も手に入らない。
質問2:あなたは200万円の負債を抱えているものとする。そのとき、同様に以下の二つの選択肢が提示されたものとする。
選択肢C:無条件で負債が100万円減額され、負債総額が100万円となる。
選択肢D:コインを投げ、表が出たら支払いが全額免除されるが、裏が出たら負債総額は変わらない。

 

プロスペクト理論 - Wikipedia

 

私は、フリービジネスとは、プロスペクト理論の考え方からすると、質問1はBを選び質問2ではCを選ぶということなのではないかと思います。

ウィキペディアGoogleYoutubeなどのフリービジネスが増えていますが、どうも最初からどのようなビジネスモデルにするかは、見えていなかったように思われます。最初の選択肢として、確実に利益になるAを選ばずに、儲かるかどうかはわからないけれども、Bを選び、その可能性を試すというのが、最近のフリービジネスの根幹なのではないかと思います。

そして、どのビジネスモデルが成功するかどうかは、すぐにはわからないので、とにかくいろいろ、ものすごいスピードで何回も試して(数討てばあたるみたいな方法)で、成功するまで何度も何度も試しているということなのではないかと考えます。特に損をするわけではない(損をしたとしても限定的)ので、それは、ちょっと、宝くじみたいで、楽しいのではないかと推測します。

 

「いやいや、お金儲けのためにやっているわけではないよ、コミュニティで認められるためにやっているのだ」という指摘もあるかと思います。上記の本を読むと多くの方がそのようなインセンティブで仕事をしているようです。その指摘の方が実態を表していると思いますが、経済学という言語に翻訳しようとすると、この程度の説明なのではないかと思いました。

 

以上、かなりざっくりですが、フリービジネスとプロスペクト理論でした。

今日、働くことについて考えたこと(コストと投資)

今日は、コストと投資についてです。

これは、ちょっと先日少し書きました。接待したとき、それを、コストとして捉えるべきか、投資として捉えるのかみたいな話です。

会計上、保守的に考えるのであれば、出て行ったお金は全てコストと捉えればいいのですが、それだと、究極的にはお金を使わないのが良いということになってしまいます。どの程度であれば、投資として許容されるかです。

 

そもそも、なぜコストと投資に分ける必要があるのでしょうか。

それは、おそらく無駄な出費を抑えるためです。

では無駄な出費というのは、なんでしょう。

たとえば、出費に理由を付けようと思えばいくらでもつけることができます。接待であれば、その交際が将来のビジネスにつながると答えれば良いですし、高級な洋服であれば、身につけることによって、ステータスや気持が高揚するという理由が考えられます。贅沢な食事でも、最終的には栄養になるわけですし、無駄な出費というのは、ほぼないと言ってもいいのかもしれません。

それでも、コストと投資に分ける理由は、おそらく、なんらかの目的に照らし合わせて、無駄なのか無駄でないのかの納得感がほしいということなのだと思います。たとえば、会社がカメラを売る会社であれば、カメラ工場を建設するのは投資として納得しやすいですが、その会社がゴルフ場を買うのは、投資として微妙です。微妙な理由は、その会社がカメラを作るという目的があるからです。このように目的があるとそれに照らし合わせて、無駄か無駄ではないか判断する基準ができます。

 

したがって、当たり前ですが、どの程度、許容できるかは、もともとあった目的て照らし合わせることが必要になります。そこに照れし合わせて許容できるか否かを判断するのです。

ただここで注意しなくてはならなあいのは、2点です。

1点目は、目的というものは、すべてを美化するのに役に立ちます。要するに誤魔化されてしまうのです。たとえば、接待も、人脈を作ってビジネスを拡大させることを目的とした場合、単なる遊びではなくなり、目的によってそれぽっくになります。本当にそれが本当に目的なのか確認する必要があります。

 

 

2点目は、何を目的とするかというの点です。たとえば、勉強はコストなのかというと、一般的には、投資と捉えられることが多いです。一方、ピケティの「21世紀の資本」によれば、残念ながら勉強の投資効果は、一般的な資産の利回りより、悪いようです。

 そこだけの側面を見ると、教育なんてしなくていいし、資産を持ちづづける方がお得という結論になるかもしれません。ただし、そのような計算結果をうのみにすると危険ですし、何を目的とするか次第です。そこは思考停止せず、深堀するのがいいと思いました。

21世紀の資本

21世紀の資本

 

 以上、コストと投資について思いつくままに書きました。ありがとうございました。

 

今日、働くことについて考えたこと(業務効率化)

今日考えたことは、業務効率化のことです。

 

二、三日前にすこし触れました。業務の効率化に終わりがあるのかという話です。

 

ある業務があって、その業務を効率化することが出来たとき、その業務を眺めているともう完璧で、なにもすることがないような気がしたりします。そうすると、別の人が来て、その業務を見直してみると、また新たな見直し点が見つかったりもします。そして、それを潰しこんで、改善すると、別の人が来て違う切り口で改善する、、、みたいなことが起こったりします。そうすると、突き詰めたら、この業務ほとんど、負荷がゼロになってしまうのかと思ったりもしますが、現実的に想像できません。

 

たとえば、皿洗いであれば、

 

手で皿をあらっていたのを機械であらうように変えてみた

    ↓

(これ以上改善の余地はなさそうに見えたが)、機械の中でお皿のおく場所を、変えてみたら、洗う時間の短縮化につながった。

    ↓

(これ以上改善の余地はなさそうに見えるが)、効果抜群の洗剤が新しいのが出た…

 

みたいに、皿洗いという業務もどんどん効率化出来てしまいそうという話です。

 

私は、個人的には、業務効率化というには、ほぼ終わりがないと思います。そう考える根拠は二つあります。

 

一つ目は、直感的ですが、不完全性定理というものです。数学の知識がないとよくわからない部分もあるのですが、不完全性定理が示唆しているのは、どんなに体系立って完璧なものを作ったとしても、かならず例外が出て来てしまうということだと思います。たとえば、生物を、哺乳類、爬虫類とか分けていっても、カモノハシのような例外がかならずあります。

ゲーデルの不完全性定理 - Wikipedia

業務効率化も同じだと思います。完全な業務と思っても、かならす何らかの例外が出てきて、それを叩いても叩いても、また、出てくるというものだと思います。

 

二つ目は、前提が変わるというのもあります。たとえば上記の皿洗いの例でいけば、紙袋が存在しない前提であれば、皿を洗い続けなくてはなりませんが、マクドナルドのように、そもそも皿を使わなければ、皿洗いの業務はなくなります。

 

そう考えると、業務改善に対して、ネガティブな反応をする人もいるのかもしれません。いくら改善しても、結局、不完全なものがあるのだから、やっても意味のではないかというわけです。

 

ただ、トヨタは、改善を続けてあれだけの企業になったのだと思いますし、トヨタの業務効率化が意味無いという人は少ないと思います。また、なにか必ず改善できるところがあるはずだと思うことは、思考能力を高めてくれると思います。100メートル走を0.01秒でも早く走るように目指すと、実力を高められるのと一緒です。

 

以上、業務効率化について考えたことでした。ゲーテルの不完全性定理について、入門書としては以下がいいのではないかと思いましたのでリンクをつけておきます。

 

無限論の教室 (講談社現代新書)

無限論の教室 (講談社現代新書)

 

 

今日、働くことについて考えたこと(何を優先すべきか)

今日は、何を優先すべきかというのを考えました。

たとえば、中間管理職で、困っている部下に相談を受けたと同時に上司に呼び出されて指示された場合に、どちらを優先すべきかみたいな悩みに直面することがあると思います。その場合、考え方として二つあると思います。

 

一つの答えは、親分肌を見せて、部下を守るのだという考え方です。部下を守ることが会社を助けることになるのだというカッコいい人もいます。もう一つの答えは、上司を優先するというものです。会社というのは、ピラミッド社会なのだから、とくに出世したければ、上司のいうことを聞くべきだという考え方もあります。

 

こういう問題が生じたときにどうやって優先順位をつけるか考えました。

 

1.まずは、この対立関係がにおいて、どちらも正しいのだと受け止めることだと思います。どちらかの立場が正しいと決めて、違う考えの人を否定する人が多いと思います。どちらも正しいし、間違っていることがあると考えるのが重要です。

 

2. 次にそれぞれの立場をした場合に失うものはなにかを考えることです。

たとえば、上記の例でいけば、会社のいうことを聞く、上司の指示を優先するという方が多いのではないかと思います。

そういう選択をするのであれば、失うものもちゃんと意識することです。一般的には部下の方が、現場に近く、現場の問題点を敏感に感じとっています。そのような重要な情報を無視するということは、それなりに失うものもあるはずです。

また、部下を守るという選択をするのであれば、昇進という観点からは、あまり評価されないかもしれないですし、現代社会では、基本的にピラミッド社会の上にいくことが報酬を高めるという構造になっているので、そこの部分を現実的に諦めることになるのだと思います。

 

ちなみ以下の本で、孫子も、物語を進める時に、デメリット・メリットを見極めるようにすると良いと書いています

新訂 孫子 (岩波文庫)

新訂 孫子 (岩波文庫)

 

 

たまに、結論決まっているのだから、あえてメリット・デメリットを考えなくて良いという方もいますが、どんな選択をしたとしても、必ず、何らかの形で失うものがあるのです。選択して失うものを見つめることで、自分が何を大切にしているのかというのを考えるきっかけになります。

3.そして、最後は「決め」の問題です。会社を取るか、部下を取るか、時間もないので、どうしても決めてしまう必要があります。メリット・デメリットを考えることに時間を費やしても、結局は事実の羅列であって、決断には、つながらないと思います。

(たまに、デメリットがあるのであれば、それが無くなるような対処策を考えておけばよいという論調もありますが、結局その対処策を講じることによって、またデメリット・メリットが生じてしまいまいます。結局は決めの問題だと私は思います)。

ただ繰り返しになりますが、失うものが何か知っておくというのは、自分が何を大切にしているか考えるきっかけになります。その観点からメリット・デメリットを書き出すのがいいと思います。

 

以上、何を優先すべきか考えました。「結局、『決め』かよ」と突っ込まれそうですが、結局そのとおりだと思っています。ただし、その結論に到るプロセスが大切で、選択したことによって、失うものはちゃんと踏まえる必要があると思います。

今日、働くことについて考えたこと(拘りについて)

今日は、拘りについてです。

拘りをもって仕事をすることはとても大切なことですが、拘りを捨てるというのも非常に大切です。

働いていると、自然と人それぞれのこだわりが身についていくので、仕事に拘りをもつという方というのは、あまり考えなくて良さそうです。むしろ、いままで得たこだわりをいかに捨てられるかという方がはるかに難しいですが、考える価値はありそうです。

社会に出ると、いろいろな成功体感を得ることがありますが、それがその人の仕事のこだわりを生む土壌になります。こだわりを捨てるということは、その成功体験を否定すると受け取る人もいるかもしれません。

ダーウィンは以下の通りに言ったそうです。

『最も強い者が生き残るのではなく、最も賢い者が生き延びるのでもない。唯一生き残ることが出来るのは、変化できる者である。』

www.a-inquiry.com

これは生物の進化の話だけでなく、会社や、国にもあてはまります。ここ数十年多くの会社が、自分の過去の成功体験に縛られて、拘りを捨てられなかったために、倒産したり、倒産までいかないまでも、成長の機会を逃しています。過去の成功体験は、過去の成功体験として受け止めて、それとは別に自分のこだわりから脱皮しないと、時代に生き残れないと思います。

何をこだわって、何を捨てるべきなのかを悩む方は、一度思考実験をしてとにかく自分のやりかたをすべて捨てることを考えてみるというのもありなのではないかと思います。そうすると何が良いかといと、自分の成功体験を、改めて、再認識できる点だと思います。

たとえば、仕事のある事に、自分のこだわりがあるのは、なんでかなと考えると、誰かに感謝されたり、新人のときに褒められた経験とか思い出したりできます。それは、それで自分のキャリアを改めてみつめるきっかけになるはずです。私が接していた多くの方は、そんなことはしないで、こだわりがある場合、なんでそのこだわりがあるのか考えず、当たり前、常識と考えているケースの方が圧倒的に多いです。それは、それで良いのかもしれませんが、当たり前、常識というのは、思考停止してしまうので危険だと思います。何よりも自分がどのように働いていたか、周りから支えられていたかというのをみつめるチャンスを逃していると思いました。

「お前頑固だなー」といって批判する人は、その人自体も頑固なことが多いです。頑固で良いこともありますが、こだわりを捨てると新たな視界が得られると思います。