働くことを考えるブログ

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今日、働くことについて考えたこと(集団の再解釈)

今日、働くことについて考えたことは

集団でいることを捉え直すこと

です。

家族を始め、人というのは、集団や組織に所属することに慣れていますが、その事を考えてみました。

 

 

1.集団でいることのメリット

最近は、個人が強くなっています。何かを決める際に個人で決めることの方がだいぶ多くなってきました。例えば、就職先を決めるにも、親が喜ぶ顔みたいから、みたいな選び方はせず、まずは自分が何をしたいのかということを考えて、決めるのが普通です。

一方、会社は集団主義の発想のかたまりです。あまり理由もなく、社長が言ったからといって物事が決まったりします。

改めてなぜ集団でいることのメリットを考えてみました。

二つメリットがあると思います。

一つ目は、

リスクを下げることができる

ことです。

想像ですが、原始的な人類が、集団生活を始めたのは、天敵から自分の身を守ることだったのではないかと思います。一人だと、昼も夜も、天敵をずっと警戒していないといけないですが、仲間がいれば、見廻りを分担することが可能です。

原始的な集団でなくても、その事は現代でも通じると思います。技術が発展し、だいぶ一人で出来ることも増えましたが、それでも、集団で協力をした方がリスクが低減するはずのところも多いです。

二つ目は、

新しいことを想像できる

ことです。

新しい発明・新しい原理の発見は、一見すると一人の偉人が成し遂げたように見えてしまいますが、実際は協働作業で行われていることの方が多いです。そのあたりは以下の本にも書かれています。

 
POWERS OF TWO 二人で一人の天才

POWERS OF TWO 二人で一人の天才

 
 
2.集団する意義を捉えなおしてみる

したがって、なんとなく会社にはいったり、組織に所属することがありますが、上記の二つの存在意義がない組織というのは、なぜその組織に所属しているか今一度考える必要があると思います。自分にとって所属している組織が何らリスクヘッジならない、なんら創造を産むものではないということであれば、その組織を去る選択肢を考えても良いのかもしれません。

 

以上が本日考えたことでした。

集団に所属することの意義を今一度考えてみました。

最後までありがとうございました。

 

 

 

今日、働くことについて考えたこと(知っていることをすべて教える)

今日、働くことについて考えたことは、

知っていることをすべて教える

ことです。

知っていることをすべて、教えることは、部下や後輩を育てる上で非常に大切ですが、そのことについて考えてみました。

 

 

 

1.なぜ、知っていることをすべて教えるとよいか

部下や後輩の教育方法として、背中を見せて、全く教えないという方法もありますが、その方法だと、ちょっと古いと言われるかもしれません。

逆の方法で、最大限すべて教える場合のメリットは二つあると思います。

一つ目は、

部下、後輩に責任感がつく

ことです。

責任感というのは、地位や立場でつくのではなく、その持っている知識に依存します。知識のある人は、もっている知識分責任があるのですが、自分の持っている知識をすべて教えると、その分だけ教えられる側に責任感が出てくるのです。

アクティブラーニングの導入が叫ばれて久しいですが、この本質は、教師がどれだけ自分の知識を教えて生徒を対等の立場にし、責任感を持たせるかです。それをわきまえていないと、アクティブラーニングはうまくいかないです。

二つ目は

教える自分にも新たな知識がつく

からです。

人に何かを教えようとして初めて、自分の知識が整理されていなかったことがわかったりします。教えることを通じて学ぶことができるのです。

 

2.その限界点

ただ、全部教えられるかというといくつか留意点があります。二つほどあげておきたいと思います。

一つ目は、

傷つくようなことは避けること

です。

全部教えるからといって、傷つくようなことを教える必要があるかどうかというのは考えものです。

その点をよくマネジメントをしないと、部下、後輩のモチベーションが下がってしまいますし、傷つくことも教えることによって成長を促せるかは微妙です。

二つ目は

ルール上禁止されているもの

です。

ルール上禁止されているものというのは、例えば人事上の情報です。それを教えると、ルール違反になるということであれば、組織のルールにしたがった方が良いと思います。

特に人事上の情報は、結局それに頼ってしまいます(たとえば、極端な例でいけば、気に入らなければクビにするなど)。そういったルールを超えるよりは、むしろ、そのルールの中でどうやって運用するかを考えてもらう方が、部下・後輩にとってよいと思います。

 

以上が、本日考えたことでした。

知っていることをすべて教えることを教えるメリットを考えました。

最後までありがとうございました。

 

今日、働くことについて考えたこと(慎むことは無限の宝庫)

今日、働くことについて考えたことは

慎むことは無限の宝庫

ということです。

ああしたい、こうしたいと主張することは大切ですが、慎むことによって、得られる可能性というのは無限だと思います。そのことについて考えてみました。

 

1.なぜ慎むと無限のチャンスが生まれるのか

昔から慎むことの大切さというのは、よく言われていますが、現代の仕事において、なぜ重要なのか改めて考えてみました。

それは、

協力を得やすい

ということです。

個人で出来ることというのは、限界があり、大きなプロジェクトを進めるときには、人の協力が不可欠です。そういうときのプロジェクトリーダーを任されたときに、必要なのは、我を出しすぎないことが肝要です。

以下の本は、読んだ事がないのですが、堺屋太一氏は、通商産業省(現在の経済産業省)の官僚時代、大阪万博のプロジェクトリーダーをしていたそうですが、以下のようにかたっています。

 日本万国博覧会の開催までには、まだ越えなければならない山がいくつもあった。私はこうした経緯の詳細を、万国博が終わった後も長く語ることはなかった。「決して語るな」という勧告を、協力者や関係者、
通産省の同期生からも受けていた。
日本は、私のような一介の官僚たる「偉くない人」が巨(おお)きな企てを実現できる国である。と同時に、嫉妬深い国でもある。
それを熟知していたからこそ、口を閉ざしたのである。

地上最大の行事 万国博覧会 (光文社新書)

地上最大の行事 万国博覧会 (光文社新書)

 

 

人と協力できるということは、自分一人で出来ること以上のことができるということです。そこに無限のチャンスが眠っています。それは、我を慎んでこそ達成できるのだと思います。

 

2.慎む方法

慎むことの良さがわかっても、なかなか実行は難しいと思います。プロジェクトを任されるとついつい自分の考えを突き通したくなるのです。簡単ではないのてすが、ポイントは、イライラするところや怒りを感じるときに、なぜイライラするのか、なぜ怒りを感じるのか、改めて分析すると良いかと思います。イライラや怒りの感情というのは、凡そ自分の欲望の裏返しであると言っても過言ではありません。自分が何を望んでいるのかをしっかり把握することが、慎むことをマスターできることに繋がると思います。

 

以上が本日考えたことでした。

慎むと、無限にチャンスが広がることを書きました。

最後までありがとうございました。

 

今日、働くことについて考えたこと(嫌な仕事)

今日、働くことについて考えたことは

嫌な仕事を積極的に取り組む

ことです。

学生時代だと、みんなの雑用をやることは、パシリと言って馬鹿にされたりすることもありますが、なぜ皆が嫌がる仕事を積極的に取り組むと良いか考えてみました。

 

 

1.嫌な仕事を取り組むとなぜ良いのか

嫌な仕事を割り振られると、反感をしたくなるのですが、そこはちょっと落ち着いて考えるべきです。いろいろとキャリア上メリットがあるからです。

なぜ嫌な仕事を取り組むと良いかは、四つ理由があると思います。

一つ目は、

誰もやっていないことが得意になる

ことです。

皆が嫌がる仕事というのは、ある意味ブルーオーシャンです。ブルーオーシャンというのは、競争が激しくなく、自分の裁量で決めて仕事ができることです。皆が面倒になってやらない仕事を積極的にやると、その分野でのエキスパートになることが出来ます。

二つ目は、

その仕事が好きになる

ことです。

自分が好きな仕事というのは、一般的に、自分が得意になった仕事です。この点を逆だと思っている人も結構いると思います。英語が好きだから、翻訳が得意だという考え方です。しかし逆もあるのです。皆が面倒だと思う企業調査を引き取っていたら、いつの間にか得意になって、好きになるという好循環の方が多いのではないかと思います。

三つ目は、

独自の目線を得られる

ことです。

一つ目と重なりますが、皆が面倒だと思っている仕事を積極的に取り組むと、その仕事ならではの独自の視点を得ることが出来ます。そうすると、自分の所属している会社の組織の問題を発見したり、別の切り口で課題解決に取り組むことが出来るようになります。

四つ目は、

信頼される

ことです。

皆が面倒だと思っている仕事を、黙々とやってくれる人に対して、悪い評価をする人はいません。パシリといって馬鹿にされるのは、学生時代ぐらいです。ビジネスにおいて信頼されるというのは、ほぼ報酬をもらうのと同義です。

2.嫌な仕事の留意点 

皆が嫌がる仕事を積極的に取り組むことには、上記のような4つのメリットがあります。一つだけ留意するとすれば

やりすぎない

ことです。 嫌な仕事というのは、上記のようなメリットがあるものの、やりすぎると自分自身を消耗させてしまうことになります。そうならないように取り組むというのが重要だと思います。

 

以上が本日考えたことでした。

嫌な仕事を積極的に取り組むメリットについて考えてみました。

最後までありがとうございました。

今日、働くことについて考えたこと(当然のこと)

今日、働くことについて考えたことは

仕事において当然と考えるべき

というのを考えていました。

当然踏まえておけなければならないものを二つ考えました。

 

 

1.システムで動く部分と感情で動く部分

 一つ目は、システムで動く・感情で動くという視点です。

世の中、システムのように、論理的に説明することができれば、かなり簡単なのですが、そのようには動かないのが、職場だと思います。

早く帰れと言われる一方で、目標を達成するように言われたり、明らかに間違っているのに、上の判断で決定が変わるということがありますが、これは感情で物事が決まること証左だと思います。

そうすると、働いている人に必要なのは、報酬のようなではなく、単なる感謝だったり、共感できるなどなかなか数値で表せないことが、仕事を進めることにおいて、重要であることがわかるはずです。

また、感情で動いている部分を無理やりシステム的に捉えようとすることもあります。たとえば、リスク管理部署でしょう。ありとあらゆるリスクを数値にして管理しようとします。信用を格付で表して管理します。2008年に倒産したリーマンは、倒れる寸前は、最高格付けのAAAをつけていました。このようなシステム的に捉えようとすることには、限界があることを踏まえる必要があります。

 

リーマン・ブラザーズ - Wikipedia

 

2.無限と有限

 

次は、無限と有限です。

 

ビジネスチャンスは、無限にあると考えるべきなのか、有限であると考えるべきかという話です。

日本は、文化的に仏教の影響をうけ、栄枯盛衰の考え方が自然に普及しています。したがって、どんなに繁栄していても、いつかはなくなるという考え方です。

一方、今のグローバルな考え方は、基本的に無限に伸びていくという考え方です。発生する問題は、時が経てば、すべて解決されると考えられています。たとえば、環境問題が生じれば、それを解決するためのビジネスが生まれ、雇用創出されるという考え方です。そして宇宙は無限に増大し続けるように、ビジネスも無限に伸びていくと考えるのが一般的なのです。

また効率もどんどん良くなっていくと考えます。おそらく1970年代に10時間以上かかった計算が、今は自宅のパソコンで1分もかからないでしょう。そういった現象をとらえて、基本的には無限に便利になっていくと考えます。

その考え方は、実は栄枯盛衰の考え方と根本的に異なるものですが、この矛盾を乗り越えることが求められているのだと思います。

 

 

以上が本日考えたことでした。

当然のことと考えておくと便利な考え方として、「システムで動く部分と感情で動く部分」「有限と無限」をあげました。

最後までありがとうございました。

 

 

今日、働くことについて考えたこと(論理性を超える)

今日、考えたことは

論理性をこえる

ことです。

論理的であることは、重要なのですが、そればっかりに頼ると、実は安易になりがちだということを考えました。

 

1.論理的であることが求められる

 

学校では、ただひたすら、論理的であることを叩き込まれます。

1+1から始まり、「ああすれば、こうなる」という論理をずっと教え込まれ、それをいち早く吸収できた人が、学校においては優秀だとされます。特に日本においては顕著かもしれません。

そして、そのまま社会人になると、「仕事をすれば、お金を得られる」だとか、「これだけの結果を出しているから、出世できる」という発想をすることになります。そして、「ああすれば、こうなる」の「こうなる」の方が見えないもの、すなわち、結果の見えないものに対して、二の足を踏んでしまうことが多いですし、「ああしたのに、こうならない」という事象に対して戸惑ってしまうこともあります。

また、多くの会社は、論理的に飛躍するのを認めていません。たとえば、「ああすれば、こうなる」がきっちりと説明できないと、上場会社としては、失格です。赤字になった理由に対して、なんの対策も説明できなければ、上場廃止せざるを得ないでしょう。

 

2.大きな成長には、論理を飛躍する必要がある

 

ただ、世の中、「ああすれば、こうなる」ということは、ほぼ稀で、筋の通らないものの方がほとんどです。

例えば、絵画というのは、論理的に考えると、描いた面積が大きければ、大きいほど価値が上がるはずです。作品にかける時間がその方が大きいからです。ただ、そんなことは、絶対にありえません。

それでは、大きさではなく、絵画の価値は何なのかというと、おそらくそれは、論理を超えたところにあるはずです。

絵の良さを、論理的に説明しようとしたら、説明しようとすればするほど、説明出来なくなると思います。お笑いを解説し始めると、急につまらなくなるようなものです。

「ああすれば、こうなる」という論理は、ある意味わかりやすいのですが、それ以上の価値がうまれないのです。

仮にキャリア的に踊り場にいるということであれば、論理的に飛躍する必要があるのです。すなわち、自分の対価以上に仕事をしてみるとか、与えられている役割の範囲を超えて仕事をしてみるなど、「ああすれば、こうなる」という論理の「こうなる」の方にしばられない行動をしてみると、違ったものが見えてくるはずです。

筋の通らないものを乗り越える・受け入れることが、ほぼ成功するか否かを決めていると言っても過言ではないと思います。

 

以上が本日考えたことでした。

「ああすれば、こうなる」という考え方を疑ってみるということを考えました。

最後までありがとうございました。

 

 

今日、働くことについて考えたこと(信用されるには)

今日、働くことについて考えたことは、

信用されるには

です。

信用されると、仕事が楽になるのですが、そのことについて考えてみました。

 

1.信用されるとなぜ良いか

仕事において信用は大事だとよく言われますが、改めて、信用されるとなぜよいかというのを考えてみました。二つ理由があると思います。

一つ目は

速く仕事を処理できる

からです。

この人に任せておけば、大丈夫と思われるのと、この人だと結果どうなるのだろうと思われるのとでは、相手から確認されたりする機会が圧倒的に前者の方が少ないです。

信用されると仕事の処理のスピードが圧倒的に違うのです。

また、会社において、銀行からお金を借りるのも、同様です。お金を借りるリスクを取って、機会損失を逸しないためですが、そのためには、銀行から信用される必要があります。

二つ目は、

信用は、ビジネスの根幹

だからです。

ビジネスというのは、当たり前ですが、信用で成り立っています。まずビジネスにおいて、かならず使われる貨幣は、皆が信用しているから、使われています。そしてその貨幣を使って、物を買うのも、その商品を信用しているからです。自動販売機でジュースを買う際に、買う前に本当に中身が自分がほしいものが入っているどうかというのを確認していたら、自動販売機というシステムは成り立たないのです。

 

2.信用されるにはどうすればよいか

それでは、次にどうすれば信用されるには、どうすれば良いか、考えてみました。

それは、

とにかくわかりやすくすること

です。

ただ、人によっては、「わかりやすい」というのは、曖昧と思われるかもしれません。なぜなら、受け手のバックグラウンドによって、わかりやすさはことなるからです。

たとえば、算数の知識をもっている人には、分数の知識はわかりやすいかもしれませんが、まったく算数の知識のない人には、分数の知識はわかりにくいはずです。

ここでいうわかりやすくすることというのは、「長期記憶に残るようにすること」です。要するにパッと説明を聞いて、パッと覚えられるものがわかりやすく、信用されるのです。

長期記憶に残るようにするには、二つ方法があります。

一つ目は、

繰り返し伝える

です。

これは、いわゆる広告戦略と同じです。まったく、コンビニで、知らない商品よりは、テレビでCMで流れているものを信用して、手に取ってしまうものです。それは、テレビCMを通じて、それぞれの人の頭に、繰り返しインプットされて、わかりやすくなっているからです。

二つ目は

論理的である

ことです。

繰り返し訴えかけることができないのであれば、論理的にすることが必要です。人間は、きっちりとした理由のあるものを信用するのです。

 

以上が本日考えたことでした。

信用されることが大切であることと信用される方法について考えました。

最後までありがとうございました。