今日、働くことについて考えたこと(失敗も役に立つ)
今日、働くことについて考えたことは
「失敗も役に立つ」
ということです。
成功できれば一番良いのですが、失敗をしても無駄にはなりません。そのことについて考えてみました。
1.なぜ失敗は必ず役に立つのか
失敗は必ず役に立つと思います。
なぜそのように言い切れるかというと、
失敗も成功も定義があいまいだから
です。
わかりやすい例でいえば、甲子園にいくという目標があって、甲子園に行けなかったら、失敗かもしれませんが、そのくやしさをばねにしたら、プロ野球選手になれたということもありますし、その逆もあります。何を目標とするかということによって、成功失敗はどんどん定義があいまいになっていきます。
失敗であったり、成功であったりしても、経験というのは、その人の人生でも、その周りの人の人生であっても、なんらかの意義を持ってしまうものです。
そのことを「かけがいのない経験だ」とかいって曖昧に表現をする人もいます。そういった曖昧な表現をされると、ただの負け犬の慰めなのではないかと疑念を抱いてしまいますが、失敗であっても、なんらかの意義を与えてしまうのだと思います。
たとえば、上記のように甲子園にいけず、プロ野球選手になれなかったとしも、確実に体力はつきますし、チームプレイの本質を体得することが出来たのかもしれません。そのような経験を通じて、友人を得ることにもつながったかもしれません。その経験に対して、どういうスポットライトを当てるかで、定義は変わってきてしまうのです。
2.役に立つ・役に立たないで考えても仕方ない?
そう考えていくと、物事を分析する際に、役に立つ・役に立たないで考えてもあまり意味がないのかもしれませんし、むしろ、危険性があると考えても良いのでしょう。
たとえば、部下が提案してきた企画に対して、役に立つ・役に立たないという観点だけで冷たく見捨てた結果、他社にアイディアを取られてしまったケースというのはよくあります。また、役に立たないといって、人間・人格そのものを否定し、事件につながることもあります。役に立たないといって切り捨てると危険なのです。
むしろ、どれだけ情熱を注いでいるのか、どれだけ可能性がありそうなのかというのを検討するということの方が大切なのかもしれません。失敗をしたとしても、情熱を注いだのであれば、確実に言えるのは、情熱注いだ分、得られる情報量が違います。また、自分の分析能力では、現時点では役に立たないとしか思えない失敗だったとしても、なんらかの可能性につながるはずなので、忘却しない方がいいのです。
以上が本日考えたことでした。
失敗も役に立つことを考えました。
最後までありがとうございました。