働くことを考えるブログ

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今日、働くことについて考えたこと(まともな判断が出来ない)

今日、働くことについて考えたことは、

まともな判断が出来ない

ことです。

 

余裕が無くなると、まともな判断が出来なくなるのですが、そのことについて考えてみました。

 

 

1.神風、根性が危険なのは

日本人は、資源やリソースが少なくとも、「勿体ない」といって、何らかの解決策を導き出すことを尊ぶ文化があると思います。

しかし、第二次世界大戦の際に、リソースを無視してしまい、食糧補給がほとんど現場にいっていなかったとも言われています。これは、日本の企業が恒常的に残業が多いことにも通じるところがあると思います。

モノやリソースを大切に使うのは良いのですが、十分にリソースを割かず、神風・根性で乗り越えようとすることの問題点は、

まともな判断ができなくなってしまう

ことです。

たとえば、途上国の農家では、収穫後の知的能力の方が、収穫前の知的能力より高いという研究があるそうです。その理由は、金銭的に余裕がないとその日のやりくりに多くの意志力を消耗してしまうからだそうです。

 

医療現場の行動経済学: すれ違う医者と患者

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 2.まともな判断をするためには

したがって、まともな判断をするためには、十分なリソースが必要です。何かをまともに判断する能力は、数値に出来ないので、軽視されがちなのですが、消耗品なのです。リソースの手当てをすることは大切です。

ただ、必ずしも、常に十分なリソースが確保できるわけでもありません。十分なリソースが確保できない状況のときどうすればいいかというと、まずは、

まともな判断が出来ないことを認める

ことです。

睡眠も食事も生き抜きもなにも出来ない状況で、何かまともに判断できるかというと、そんなことができる人はいません。唯一の例外は、その状況を楽しんでいる人ですが、一つのことを楽しみ続けることというのは難しいです。リソースが足りない状況ではまともな判断なんて出来ないのです。そこを、まず認めることが重要です。

マネジメントの本質というのは、出来ないことを出来るようにすることであるのも、確かです。しかし、だからと言って、リソースが無い状態でまともな判断が出来るわけではありまさせん。その時にすべきマネジメントというのは、リソースが無いことを直視することであって、まともではない判断をすることではないのです。

まともな判断が出来ないことを認識すると、選択肢は広がります。無理な選択肢ではなく、現実的に考えることが出来るのです。

 

以上が本日考えたことでした。

まともな判断ができないことについて考えました。

最後までありがとうございました。