働くことを考えるブログ

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今日働くことについて考えたこと(絶対的と相対的~その2)

毎日、働くことを考えている、がねがねめがねです。

今日、働く ことについて考えたことは、

絶対的と相対的」(その2)です。

昨日に引き続き、そのことについて考えました。

昨日見ていない方は、ご興味あれば、以下のリンクも見ていただければと思います。

 

deepdeepthinking.hatenablog.com

1.相対的に考えることの問題点

前回、相対的に考えることが、ありとあらゆる分野でウケが良いですということを書きました。

ただし、少し考えるとわかりますが、相対的に考えるといっても、絶対的に考える要素が入ってきてしまいます。どいうことかというと、死刑反対賛成いろんな意見があるよねというのも、決めつけといえば、決めつけています。本気でケンカしているのに、「まあまあ、いろんな意見あるよね」と言われるとカチンと来ることもあると思います。

相対的に考えることがうまく回るには、その個人がある程度常識で判断する力をもっておく必要があります。

すなわち、常識とういう守るべき最低限のルールが絶対的に決まっている必要があるのです。

しかしその常識というのは曲者です。自分の常識が相手の常識であるとは限らないです。そこには、何かの比較ではなく、絶対的な基準で決まっているはずです。

絶対的に考えるのは、よくないので相対的に考えたけれども、それは結局絶対的な考え方になってしまってしまうのです。まるで、孫悟空がものすごく遠くに飛んで行ったと思ったにもかかわらず、ブッタの手に収まっていたみたいな感じがします。

結局のところ、相対的に考えるにしろ、絶対的に考えるにしろ、何か決めているのだから、いろんな議論をすっとばして自分の基準で絶対的に考えれば良いのではないかと考える人もいます。そういう考え方もあるかもしれませんが、その人の判断が正しいとはかぎひません。

2.これらのことが仕事の現場にもたらすもの

おそらく人類の歴史は、絶対的に考えるべきか・相対的に考えるべきかの振り子の歴史だったと言っても過言ではないと思います。

みんなで決めるとなかなか決まらないから、誰か有能な人(たとえば王)に決めてもらったものの、全知全能な人なんていないので、失敗して、またみんなで決める(たとえば共和制)みたいな感じです。

今のビジネスの現場においても、この問題はあると思っています。具体的には、相対的に考えると良いという考え方には、絶対的に守らなくてはならないルールがあるのにもかかわらず、それが暗黙の了解とされて誰が決定したかよくわからないことです。

たとえば、ビジネスの決定を、社長が決めるのが良いか、それとも従業員など皆で決めるの良いかみたいな議論です。

トップダウンで決めてくれないと、話が進まないのですが、社長が現場を知らないと会社全体が混乱します。それでは、従業員が自由に決められるというのが良いかというと、規律がない限り、バラバラになってしまうリスクもあります。相対的に考えるとしても、ある絶対的な基準は必要になるのですが、それが必ずしも見えていないというのが、ビジネスの現場で起きていることなのではないかと思います。

 

以上が本日考えたことでした。

相対的に考えるにしても、絶対的な基準がかならず必要だということを考えました。

最後までありがとうございました。