働くことを考えるブログ

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今日、働くことについて考えたこと(決断について)

今日、働くことについて考えたことは、決断についてです。働いていると、小さいことから大きなことまで、決断をすることが求められたりします。そのことについて考えてみました。

 

1.なぜ決断しなくてはならないのか

 

何かをすることを決定することも決断ですが、何もしないことも、ある意味決断です。右にいくか左に行くか悩んだときに、右にいく、左にいくというのも決断ですが、決断せずそこに留まるというのも決断なのです。

したがって、決断というのは、生きている限り逃れられないのではないかと思います。日々同じ生活をするというのでも、無限の選択肢の中から、同じ生活を選びとるのですから、何らかの形で決断する形になるからです。

 

2.正しい決断とは

 

何かする、何もしない、いずれの選択肢を取ったとしても、求められるのは、その結果に対する責任です。右か左かのように選択肢を提示された時に、決断しないと責任から逃れられるような気がしますが、決断をしないと思っても、結果の責任の一旦担うことになります。

たとえば、自分の結論を出さず、上司に判断してもらうというのも、決断なのです。その結果は、上司が負うのかもしれませんが、自分も責任から逃れられるわけではありません。

そうすると、正しく決断することに求められるのは、責任感なのです。先日、ブログで書いたとおり、責任というのは、一貫した説明能力です。

 

deepdeepthinking.hatenablog.com

また、公平無私というのも決断において重要なのかもしれません。自分が単純に責任から逃れたいから決断を先に延ばすのと、そうではなくタイミングを考えて結論をださないとでは、リーダーシップという観点からは大きな違いがあります。西郷隆盛は、決断する際に公平無私を重視したそうです。

toyokeizai.net

 

以上が本日考えたことでした。本日も最後までありがとうございました。

 

 

 

今日、働くことについて考えたこと(共感する)

今日、働くことについて考えたことは、共感することです。

働いているときに必要なこととして、相手に共感するというのがあります。そのことについて考えてみました。

 

1.なぜ共感する必要があるのか

 

共感というのは、感情を共有することです。 

共感するということは、公平性がない可能性があるという人もいます。以下の本は、ある特定の人が置かれている悲劇的な状況に対してスポットライトを与えると我々は共感し支援することができますが、不特定多数の人には共感出来ず支援出来ないことを指摘しておりました。要するに不公平感が出てしまうということです。

 

 

反共感論―社会はいかに判断を誤るか

反共感論―社会はいかに判断を誤るか

 

 

世の中のすべての問題に対して、共感することはほとんど不可能です。世界のありとあらゆる地域で紛争で犠牲になった人に対して共感するのは、難しく、具体的に一人の人間をイメージしないと共感できないのではないかと思います。

だからといって、共感する必要がないかというとそういうことではないと思います。まったく共感がなければ、困った人に誰も手を差し出そうとはしないはずだからです。共感するということによって、世の中は少しづつよくなっていくのだと思います。

また、身の回りの多くの困った問題は、共感するだけで解決することが多々あります。困った相談を受けた時に、求められているのは、具体的なアドバイスではなく、共感することがほとんどです。

 

2.それではどのように共感すれば良いのか

 

それでは、どのように共感するべきか考えてみました。二つ考えてみました。

一つ目は、共感する際は常に公平性を踏まえるということなのだと思います。自分が過度に共感していないか考えてみるというのも良いのかもしれません。そのようにバランスをとることも求められるところだと思います。

二つ目は、遠く離れた人でも、具体的な人をイメージして共感するの良いのかもしれません。そうすると、自分の関心が日々の周りのことだけでなく、世界の果てまで関心が持てるかと思います。

 

以上が本日考えたことでした。本日も最後までありがとうございました。

今日、働くことについて考えたこと(常識)

今日、働くことについて考えたことは、常識についてです。

働いていると、常識が人によって異なるなと思うことがあります。そのことについて考えてみました。

 

1.なぜ人によって常識が異なるのか

 

会社の統合などすると、それぞれの会社によって常識が異なり、もめることはよくあることです。また、海外にいくとビジネスの常識がまったく異なり、驚くこともしばしばあります。

海外だけでなく、忘れがちなのが世代によって、常識が異なる点も最近は注意しなくてはなりません。同じ日本人ですが、バブル世代、氷河期世代ゆとり世代では、常識が異なりますが、同じ日本人ということで常識が一緒だと思いがちですが、異なった常識を持ち合わせています。

なぜ常識が人によって異なるのかは、理由は2つあると思います。

一つ目は、生まれてきた環境が異なるからです。わかりやすい例でいえば気候が異なれば常識が異なります。日本は、だいたい7時ぐらいには日が暮れますが、スペインでは9時まで日が暮れない時期もあります。日中どうどうと昼寝する(シエスタ)文化がスペインにありますが、9時まで日が暮れないという前提であればシエスタも許されると思いますが、日本では、なかなか受け入れにくいと思います。環境によって、常識も異なるのです。

二つ目は、失敗体験です。成功体験というのは、成功した原因を詳しく分析されがちですが、何か失敗したとき、一般的に詳細まで分析することはありません。そのまま、触れずに、関係者のなかで、うやむやにされてしまうことが多いです。そして、うやむやにする方法、傷を深くにしないための常套句として「常識」が使われています。たとえば、社内横領した人がいて処分されたケースにおいて、その対策として、かならず書類を再鑑するフローをいれた場合に、横領の事件は時とともにうやむやになり、書類を再鑑するフローだけが残るケースの方が圧倒的に多いと思います。そいうときに「なぜ再鑑する必要があるのですか」というと「それは常識だ」と答えられたりします。

 

2.常識は人によって異なるという前提でいた方がよい

 

本来、常識という意味は、皆が共有する一般感覚ではありますが、人によって異なるものなのだと思った方が良いと思います。その際に必要なのは、寛容の精神です。自分にとって常識と思えるものが、相手にとっては常識ではないということを常に頭の中に入れておくことが必要です。自分の常識が常に正しいとは限らないのです。自分の常識と異なる常識に出会ったときに、寛容の精神をもって、対処すると、見方に幅が広がると思います。

 

 

以上が本日考えたことでした。最後までありがとうございました。

今日、働くことについて考えたこと(約束について)

今日、働くことについて考えたことは、約束を守ることです。定められた時限までに支払う、ミーティングに集合するというのは、少なくとも日本においては、基本中の基本です。そのことについて考えてみました。

 

1.なぜ約束は守ろうとするのか

 

日本の電車は、かならず定刻に来て、定刻通り電車が来ないと謝罪の車内放送が流れます。

約束を守ると何が良いかというと、信頼が醸成されるからです。信頼が醸成されるとなにが良いかというと、物事のスピードが高まることです。たとえば、着実に支払い期日に支払うことがわかっていれば、それを元に借り入れをして、新たな設備投資を行うことができます。

 

2.信頼基盤がしっかりとしている社会

 

一方、信頼が醸成されるということは、別の見方をすると、その部分について思考停止するということです。毎日安心して生活できていると、ありとあらゆるところで約束が守れているからということを忘れてしまいがちです。

日本人が海外に行って、日本と同じ感覚でいて騙されたという話はよく聞きますが、それは逆に日本において信頼基盤がしっかりできることの証明でもあると思います。

思考停止の対策として、多少約束を破る人もいた方が良いというつもりは、まったくないですが、日本というのは、約束がしっかり履行される社会であると同時に、思考停止しやすい社会だと思います。

 

思考停止しないためにどうするかといえば、海外旅行や海外出張に行くというのもありなのかもしれません。海外に行くと、日本人がいかに律儀にあらゆる方面で約束を守っていることが、よく実感できます。

 

以上が本日考えたことでした。最後までありがとうございました。

 

今日、仕事について考えたこと(叱ることのむずかしさ)

今日、仕事について考えたことは、叱るということです。

叱ることというのは、最近ですと、パワハラだとか言われてしまったりするので難しいことになっていますが、そのことについて考えて見ました。

 

1.叱ると怒るの違いは

 

怒りに任せて怒鳴るのと叱ることとは違います。なにが違うかというと、ルールがあるかないかだと思います。あらかじめ、このようなルールで運営しているので、破った場合は叱るというものは、叱るですし、そのようなものがないのであれば、それは怒る(場合によってはヒステリーと言われたりします)ことだと思います。

 

アドラーに学ぶ部下育成の心理学

アドラーに学ぶ部下育成の心理学

 

こちらの本は、叱ることはせず、ルールを決めたら、どのような結果になるか自ら学ばせるということが書いてあり、ちょっとここで考えていることと違いますが、本質的には一緒かと思います。ルールをあらかじめ決めておき、結果を学ばせることが指導において重要です。

 

2.今の時代、なぜ叱るのが難しいか?

 

現在叱られるが難しいのは、パワハラだと言われてしまうとか表面的な要因もありますが、本質的には、難しいところは、あらかじめルールを決めるということなのではないかと思います。

現在、ありとあらゆる分野において、スタートアップが規制を壊しています。Youtubeが典型的かと思います。著作権制度を壊して、新たな枠組みを作り上げました。このような時代だと、あらかじめルールを作ること自体が難しくなっていると思います。

部下とルールを決めたとしても、そのルールが時代とともにすぐに変わっていくのです。昔の方が部下を叱るのは簡単だったと思います。ルールや前提が崩れるということがほとんどなかったからです。

したがって、自分が叱ることができないといって落ち込む必要はないのではないかと思います。むしろ叱らないでどうやって、甘い見方をしないように指導するかがポイントになると思います。

このような時代に必要なのは、誰もよくわかっていない、自分もよくわからないということを認めることから始めることだと思います。そして自分も結果を通じて学んでいるのだという事を示すことが必要なのです。

以上が本日考えたことでした。最後までありがとうございました。

 

今日、働くことについて考えたこと(責任について)

今日、働くことについて考えたのは、責任についてです。

何かあると責任をとって役職を辞めることもありますが、そもそも責任があるというのはどういうことか考えてみました。

 

1.責任とは

 

責任があるというのは、筋の通った説明ができるということだと思います。なにかに失敗したら、役職を辞めるという方法を取ることがありますが、本来求められるのは、説明をすることです。なぜそのようなことをしたのか、どのように考えたのか、その結果どうなったかというのを説明できることが責任ある行動です。その説明ができないと役職を辞めるというのも、その方法の一つですが、役職がなくても、筋を通した説明をすることが可能です。

 

2.責任感を鍛える

 

筋の通った説明するというのは、日々働くことを通じて、鍛えることができますし、また、いろいろなささやかな日々の選択でも、冷静に分析すると責任ある行動になると思います。

たとえば、1日あったいろいろな場面を思い出して、選択したときに自分はなぜそのような選択をしたのか考えるのです。起きる時間から夕食食べたものまで、ありとあらゆる選択を行なっていますが、できる範囲で、選択したことを分析すると良いと思います。そうすると自分の行動に対して、責任ある行動になると思いますし、力強くなると思います。自分がなにを大切にしているかがわかるようになるからです。

ある行動を選択することを分析するということは、なぜ他の選択肢はとらなかったのかを考えることになると思います。一つの選択肢をとるということは、他にあった無限の選択肢をとらなかったことを意味します。選択されなかったものを見つめると自分がどこに向かおうとしているか、筋の通ったストーリーが見えてくるはずです。

 

以上が本日考えた考えたことでした。最後までありがとうございました。

 

 

今日、働くことについて考えたこと(協力すること)

今日、考えたことは、協力することです。二人の人間が仕事においてうまく協力した場合、単純な1+1以上の効果が得られることもあります。協力することについて考えてみました。

 

1.なぜ協力する必要があるのか

 

協力を促そうとしたときに、なぜ協力する必要があるかという人もたまにいます。自分一人ですべてやることができるという人です。頭の良い人や技術に自身のある人に多いです。そのような人にも協力する大切さを学ばせるのは至難の業です。その人に協力するメリットを説明しなくてはならないからです。

協力して物事を進めることのメリットは、イノベーションが起こるからです。イノベーションは、一人で考えると思われがちですが、二人以上で行われることがほとんどです。

わかりやすい例は、ビートルズのジョンレノンとポールマッカートニーですが、以下の本によれば、ダーウィンピカソも協力してイノベーションを起こしたようです。

 

 

凡才の集団は孤高の天才に勝る―「グループ・ジーニアス」が生み出すものすごいアイデア

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逆に、大企業病の要因の一つは、協力することを忘れてしまっていることにあると思います。協力をしない、自分の組織だけのことを考えるのであれば、大きな集団でいる意味はほとんどないのです。

もし、協力することを拒んでいる人がいたら、このようなマクロ感からわかってもらう必要があります。それはなかなか難しい作業ですと思います。どんなに建前は、協力することが大切だといったとしても、学生時代の試験は一人でやるわけですし、そこで優秀さを図る枠組みだからです。協力して物事を進めた成功事例を積極的に展開することが重要なのではないかと思います。

 

2.協力することにおいて大切なこと

 

協力することにおいて大切なことは、自己都合をなるべく排除して、相手の利益になることを重点に置くことです。滅私奉公は、自分を軽視しすぎしまうので、危険ですが、相手の利益になることは、どういうことなのか、本気でお互いに考えることが、協力することによりイノベーションが起こる前提条件だと思います

最近のフリーミアムのビジネスモデルの本質もここにあると思います。ユーザーと共に協力してビジネスを作りあげていくものが、イノベーションを牽引しています。「良い商品を作った、終わり」というものよりも消費者と協力して作り上げていくという精神が必要なのです。そこがわかるかわからないかは、ビジネスにおいて、これから生き残っていく上で大切なのだと思います。

以上が本日考えたことでした。最後までありがとうございました。