働くことを考えるブログ

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今日、働くことについて考えたこと(簡単なことほど難しい)

今日、働くことについて考えたことは

簡単なことほど難しい

です

人の話を最後まで聞く、挨拶をする、感謝を述べるなど簡単なものほど、実際にやってみるのが難しかったりします。そのことに理由ついて考えました。

 

 

1.なぜ簡単なものは、やるのが難しいのか

優秀な人でも、意外に「そんなの当たり前だろ」と思えるを実施するのが難しかったりします。

それは。

簡単なものになればなるほど、曖昧だから

です。

現代は、ありとあらゆるものが、合理的な存在理由を説明することが求められています。

たとえば、家の前に本屋があるとした場合に、その本屋がなぜ商売が成り立っているのか、その本屋の存在理由を合理的に説明できないと、撤退せざるをえません。

合理的な理由が大事なのです。

ただ、よく考えてみると、合理的な理由というのは後付けでしかありません。存在する明確な理由がなくても、存在してはならないことにはなりません。その本屋が存在する理由が、売上だったとした場合、売上がなくなったからと言って、その本屋がなくなる必要はないのです。お店の人が単に本を売りたいということでもかまいません。

簡単なものほど、合理的に説明するのが難しいのです。たとえば、「朝、なぜ挨拶をしなくてはならないのか」と言われれば、理由づけは難しいです。「モチベーションが・・・」とか「コミュニケーションが・・・」等一生懸命カタカナで説明をすることがありますが、「すべきものはしなくてはならない」という以上の説明ができるものはなく、曖昧であることにはかわりません。

 

2.優秀な人が気をつけなくてはならないこと

 

一般的に優秀と言われる人は、合理的な説明を求める傾向にあると思います。

そして

優秀な人ほど、世の中の理不尽から、自分の優秀なところで解決しようとする

傾向があります。

たとえば、試験勉強で合格して、良い大学に出るだとか、お金を稼げるようになるなどの方法で今置かれている理不尽な状況から逃れられそうです。

優秀であれば優秀な人ほど、自分の実力で理不尽な事象から逃れようとします。

しかし、理不尽なことというのは、自分の実力で逃れられるようなものではないです。それは、不老長寿の薬を求めるようなものです。

優秀てはない人は、そこまで優秀ではないので、理不尽なことについて、ある程度受け入れるようになります。普通はそれで終わり、それが人間として正しいと思うのですが、優秀な人ほどこそ、理不尽から逃れるのに必死で、自分の実力でなんとかなるのではないかと思っています。

それは、すなわち、優秀な人ほど、いろんなものに合理性を求めることに等しいです。極端な人は、「なぜ、この俺様がそんなことをしなくてならないのか」となるわけです。しかし、簡単なものほど、合理的な理由が説明しにくいのです。

理由づけは、ほとんどのものがあと付であって、理由があるようでないのです。その点を優秀な人は、気をつけなくてはならず、理由の曖昧な簡単なことでも大切にすべきだと思います。

 

以上が本日考えたことでした 。

簡単なことほど、難しいということを書きました。

最後までありがとうございました。