今日、働くことについて考えたこと(誤りを認める)
今日、働くことについて考えたことは
「誤りを認める」
ことです。
誤りを認めることは、次のステップに上がるために重要ですが、そのことについて考えてみました。
1.なぜ誤りを認めない人は注目され、尊重されるのか
皮肉なことですが、誤りを認めない人というのは、注目され、尊重されます。
なぜかというと、そういう人とは、一般的に関わりたくないからです。関わりたくないので、関わらないように警戒され注目されるわけです。炎上商法というのがありますが、まさしく、この注目されるという事象を使った商法だと言えると思います。
また、これ以上誤りを続けてほしくないので尊重もされたりもします。その人の周りにいる人にとっては、自分の価値観を揺らがせることになります。これ以上自分の価値観を否定されるのが嫌なので尊重してしまうのです。
パワハラ・セクハラをしても、誤りを認めず、出世してしまう人もいます。結果を出しているということもありますが、上記のようにこれ以上周りの人が関わりたくないというのもあると思います。
2.なぜ誤りを認める必要があるのか
こう考えると、誤りを認めない方が良いのではないかと思ってしまうこともあります。なぜ誤りを認めた方が良いのかというと、二つ理由があります。
一つ目は、当然ですが
誤りを認めないと成長しない
からです。
成長しないというのは、自分が出来ないことがそのままになることです。解決すべき課題と認識されないのです。
二つ目は、
ゼロサムゲームになってしまう
からです。
ゼロサムゲームというのは、発展しない、食べるべきパイが広がらないということです。皆が誤りを認めなければ、皆が成長せず、残されたパイの奪い合いになります。
個人が尊重されている中で、刑法が存在する理由の一つは、ここにあると思います。すなわち、物を盗んで罰せられなかったら、皆、残っている物を盗んでしまいます。盗むことを禁じることによって、自助努力を促し、社会の発展を企図しているのです。
誤りを認めることというのは、人によっては、注目されず地味になものと思ってしまうかもしれませんが、社会の発展には必要な行動なのです。
以上が本日考えたことでした。
誤りを認めることについて考えてみました。
最後までありがとうございました。