働くことを考えるブログ

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今日、働くことについて考えたこと(自分の気持ちと向き合うこと)

今日、働くことについて考えたことは

自分の気持ちと向き合うこと

です。

働いていると、自分の気持ちに向き合うということが、大切ですが、そのことについて考えてみました。

 

1.自分の気持ちがわからない

大人になれば、なるほど自分の気持ちというのがわからなくなります。

子供の時は、悲しいときは悲しく、ある意味思いっきり泣くこともできますが、大人になると、いろいろなことを考えて、子供の時のように泣く事はできません。

大人になるにつれて我慢することを学ぶことによってこのようなことになるのですが、そうすると自分の気持ちというのがわからなくなるというデメリットがあると思います。

 

2.問いを持ち続ける

したがって、自分が何をしたいのか、どういう気持ちなのかという問いを持ち続けることが重要です。

例えば、漠然と不安しか感じられないときというのは、自分の気持ちと向き合う良いチャンスでもあります。本当に自分が望んでいる仕事が出来ているのか考えることができるのです。

そして、自分と向き合うプロセスというのは、他人に対しても応用することができます。

相手が本当にどういう気持ちでいるのか、しっかり捉えるというのは、どんな職業であっても必要です。だいたいの人というのは、何を望んでいるのかというのは良く分かっていないのですが、言葉では違うことを言ってしまいます。

例えば、ドリルが欲しいと言ってくるお客さんが欲しいのは、ドリルそのものではなく、穴の空いた板なのかもしれません。そのようなことを的確にわかるには、まずは、自分が何を望んでいるのかを把握することが大切なのです。

 

以上が本日考えたことでした。

本当の自分の気持ちと向き合うことについて考えました。

最後までありがとうございました。

今日、働くことについて考えたこと(なにもかもが上手くいかない)

今日、働くことについて考えたことは

何もかもうまくいかない

です。

一生懸命やっていても、何もかもうまくいかないことがあります。その事について考えました。

 

  

1.何もかもうまくいかない

誠実に直向きに仕事に取り組んでも、自分が思った通りの結果にならないこともあります。

そういう時に周りを見回してみると、自分と同じような、実力、環境の人が、僅かな差でうまく行っていることもあります。

実力、環境、学歴、全て一緒、むしろ自分の方が誠実に仕事をしているにもかかわらず、上手くいかない時があるのです。

 

2.何もかもうまくいかない時の心構え

このように上手く行かないときというのは、かならず誰でも経験することたとおもいます。そういう時の心構えを考えてみました。

・マウンティングをしない

マウンティングしている人を見て何が痛いかというと、他人と比較することによって、自分が本来見るべき問題を直視しないことです。そマウテイングをすれば、一時的には気持ちが晴れるかもしれませんが、そこからは抜け出すことはできないのです。マウンティングは避けるべきです。

上手くいっていないときというのは、承認欲求が高まります。お腹が空いて、たくさん食べたいように、承認欲求も満たしたくなるのです。そういう時に、マウンティングをせずに、自分の存在が認められる人間関係があると言うのは大切だと思います。

・少し休む

上手く行っていないと思うときというのは、疲れている時でもあります。人間、受け入れられるストレスには、限界があります。そういう時は、少し休むのが良いかもしれません。

選択と集中

何もかも上手くいかないときは、少しいろんなことに手を広げすぎなのかもしれません。そういう時は、一つに決めて、そこを突破することを集中するとよいと思います。

 

以上が本日考えたことでした。

何もかもがうまくいかないことについて考えました。

何もかもが上手くいかないときというのは、逆にいうと、最も成長している時でもあります。

最後までありがとうございました。

今日、働くことについて考えたこと(問題解決の上手い人)

今日、働くことについて考えたことは

問題解決が上手い人

です。

課題を設定するのは、イマイチだけれども、問題解決だけがうまい人というのは、結構います。そのことについて考えてみました。

 

 

1.問題解決が上手い人

優秀な官僚の方というのは、上から言われた課題を解決するのがうまいと思います。ただ、その人が上にあがると、良い課題を設定できるかは別の問題です。

たとえば、豊臣秀吉は、課題解決が異常にうまい人だったと思います。

豊臣秀吉 - Wikipedia

織田信長が振ってくる課題に対して、70点、80点で返すのではなく、100点、120点で返すようなことが出来ました。

しかし、いざ豊臣秀吉が天下統一をして、自分で課題を設定する番になると、朝鮮出兵をはじめイマイチだったことはよく知られています。

 

2.問題解決だけが上手い人の思考方法

課題を設定するのは、イマイチだけれども、問題解決が上手い人が何が優れているかというと、以下のような特徴があると思います。

・課題の範囲

与えられた課題に対して、その解決すべき課題の範囲が瞬時に理解できるということです。

たとえば、上司のあいまいな指示であったとしても、それがどのような意図で発言していて、何が優先して課題として解決すべきかというのが瞬時に分かるのです。

部分最適で考えない

おそらく、石田光成と豊臣秀吉の差は、部分最適で考えているか否かというとことだと思います。

石田三成 - Wikipedia

石田光成も豊臣秀吉いずれも、城に対して水攻めをしております。

石田光成も優秀な官僚でしたが、豊臣秀吉から、忍城の戦いの際に、水攻めをするように言われましたが失敗しました。石田光成は、豊臣秀吉の指示通りにしか動くことができず、指示を守るという部分では最適だったかもしれませんが、結果は失敗となりました。

一方、豊臣秀吉は、備中高松城の戦いで、水攻めを成功することが出来ました。それができたのは、単純に言われたことで最適化するのではなく、課題全体に対して、土地気候人員など総合的に解決する方向で考えることができたからではないかと思います。

 

以上が本日考えたことでした。

問題解決の上手い人について考えました。

最後までありがとうございました。

今日、働くことについて考えたこと(結果がすべてか?)

今日、働くことについて考えたことは

結果がすべてか?

ということです。

仕事を失敗した時に、よく結果がすべてだということがありますが、そのことについて考えてみました。

 

 

1.結果がすべてであるという考え方とそうではない考え方

結果がすべてという考え方とそうではなくプロセスが大切なのだという考え方があります。

前者は、仕事において業績目標が達成できなければ、まったく意味無いという考え方ですし、後者は、業績目標が達成できていなくても、その間に一生懸命顧客訪問をしたのであれば評価すべきだという考え方だと思います。

私は、どちらが正しいかよくわからないのですが、どちらが正しいか常にシーソーのように考え続けることが大切だと思います。

業績目標の結果だけ見ていたら、コンプライアンス上間違ったことをしてしまうこともあるかもしれませんし、業績目標の過程だけで評価をしていたら、なかなか結果がついていけないと思います。

最近は、後者の考え方(過程を重視する)の方が評価されていると思います。単純に業績目標を達成すると、ルールを守らずに達成しようとする人も出てきてしまいますし、疲弊してしまうというネガティブな面が、いろんな方面から出てきているからです。ただ、その考え方も、いずれ揺り戻しがあると考えており、考え方行ったり来たりが大切だと思います。

 

2.どのタイミングで誰が使うかが重要

どのタイミングで誰が「結果がすべてだ」と言うかというのも大切だと思います。

一生懸命がんばって顧客訪問をしたのに、業績目標を達成できなかった部下に対して、上司が

「結果がすべてだ」

というのは、言い方を気をつける必要があると思います。

昭和であれば、タイミングも考えずに、そのように言っても、皆が受け入れられていたかもしれませんが、それで回る時代ではなくなってきました。

おそらく、結果が出る過程について、常に寄り添っていた上司が、「結果がすべてだ」というのは、許されると思いますが、その過程に何も携わらなかった上司だと部下は離れて行ってしまうでしょう。

 

以上が本日考えたことでした。

「結果がすべてか?」について考えました。

最後までありがとうごじあました。

今日、働くことについて考えたこと(人に寄り添う職業はなくならない)

今日、働くことについて考えたことは

人に寄り添う職業はなくならない

ということです。

AIなどが発展すると職がなくなるのではないかと不安になるかと思いますがそのことについて考えてみました。

 

 

1.人に寄り添う職業はなくならない

人間というのは、矛盾を受け入れられるところにパソコンや機械との差があります。

機械は、矛盾があったら、動かなくなりますが、人間は反応することができます。

たとえば、自然という言葉でイメージする言葉は、

田園風景であることもあるのですが、

田園風景というのは、基本的に人が造ったものです。

だからといって、田園風景を自然の定義から外すことはなく、人間は受け入れることが可能です。

機械では、インターネットの画像をたくさん読みこませれば、画像として自然の定義が学習できるかもしれませんが、田園の中にいて、これが自然の中なのかどうかというのを感じることはできません。

どんなに機械が発展したとしても、人間というのは、このような矛盾を持ち続けます。このような矛盾を持つ人間を相手にする職業や寄り添う職業というのはなくならないと思います。

2.カウンセラーだけが人に寄り添うのではない

人に寄り添う職業というのは、カウンセラーがイメージしやすいですが、それだけが人に寄り添う職業ではありません。

たとえば、プログラマーは、一見パソコンしか相手にしていないように思えますが、

人がどういうアウトプットを望んでいるか考える必要があります。コンビニのバイトであってもそうです。

さらに言えば、ネット技術が進むと、人に寄り添うということを考えながら、立振舞う必要があります。

たとえば、弁護士は、人に寄り添える弁護士のみが生き残っていくと思います。単純な知識だけなら、多くの人がネットで調べることができるからです。知識だけある弁護士ではなく、相談した時に本当に相手が何に困っているかがわかる弁護士が生き残っていくのです。

 

以上が本日考えたことでした。

人に寄り添う職業はなくならないということについて考えていました。

最後までありがとうございました。

今日、働くことについて考えたこと(自分は悪くないという言い訳)

今日、働くことについて考えたことは

自分は悪くないという言い訳

についてです。

仕事をしていると、「自分は悪くない」という言い訳を聞くことがありますが、だいたいにおいて、そのような言い訳を聞くとイラつかせる場面の方が多いと思います。そのことについて考えてみました。

 

  

1.結果がすべて

正しいと思ってやったことが裏目に出てしまうことがあります。

たとえば、指導を一生懸命やりすぎて、裏目に出て、パワハラと言われてしまったということもあります。

そのようなときの言い訳として

「自分は悪くはない」

ということがあります。

また、新人が、書かれている社内ルール通りにやっていたら、結果的にミスになってしまったときも、

「自分は悪くはない」

と思うこともあると思います。

ただ、厳しいかもしれませんが、結果がすべてという側面があるのも事実です。いくら自分が悪くないと思っても、結果的に失敗につながったのであれば、悪くはないということはあり得なくなってしまうのです。

 

2.何を心がける必要があるのか

これらの例が何が問題なのかというと

私たちは

説明の一貫性を持つことのリスクに常にさらされている

ことだと思います。

「こうだ!」と思って行動した場合、かならず何らかのデメリットが出る可能性があるということを常に心にとどめておく必要があるということです。

たとえば、「新人には厳しく接するべきだ」ということを考えて、厳しく指導したら、その帰結に対するリスクというのを常に頭に入れておく必要があります。まったく正しいという理論というのは存在しないのです。

「まったく正しい理論が存在しない」ということ自体が正しいかどうかというのは、哲学的な問題ではありますが、そこの矛盾を直感的に理解できるのが人間と機械との差でもあり、乗り越える必要があるのです。

 

以上が本日考えたことでした。

自分が悪くはないという言い訳について考えてみました。

最後までありがとうございました。

今日、働くことについて考えたこと(脚下照顧)

今日、働くことについて考えたことは

脚下照顧

です。

脚下照顧というのは、足元をよくみて反省するという意味ですが、そのことについて考えてみました。

 

 

1.脚下照顧とは

脚下照顧とは、自分の足元をよくよく見よという意味です。もともとは、禅家の語だそうで、他に向かって悟りを追求せず、まず自分の本性をよく見つめよという戒めたものでした。

自分の足元をよくよく見よという意。もと禅家の語で、他に向かって悟りを追求せず、まず自分の本性をよく見つめよという戒めの語。転じて、他に向かって理屈を言う前に、まず自分の足元を見て自分のことをよく反省すべきこと。また、足元に気をつけよの意で、身近なことに気をつけるべきことをいう。▽「脚下」は足元の意。転じて、本来の自分、自分自身。「照顧」は反省し、よく考える、また、よくよく見る意。「照顧脚下しょうこきゃっか」ともいう。

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2.正しい脚下照顧

自分の足元を見つめるというのは、なかなか難しいものです。なぜ難しいかというと、どうしても、現代の生活の基本は、他人と模倣して成り立っているからです。

他人が持っている鞄、車、家、キャリアが気になるような仕組みになって競争させられているのです。

それが悪いというわけではないのですが、バランスを取る必要があるということだと思います。

競争の土台にいながら、自分の足元をしっかり見るというのは、矛盾していますが、越えられない矛盾ではないはずです。相手が何をもっていることを気にして、自分が足りないものを見つめる方法というのは、成長の方法としては、ある意味わかりやすいと思います。

 

以上が本日考えたことでした。

脚下照顧について考えました。

最後までありがとうございました。