今日、働くことについて考えたこと(あえて未完成に留まる)
今日、働くことについて考えたことは
あえて未完成に留まること
です。
完成させてしまいたいところをあえて未完成に拘ってみるということについて考えてみました。
1.サクラダ・ファミリア
スペインにサクラダ・ファミリアという建築物があり、建築家として有名なガウディという人物が19世紀後半に設計し、未だに建築中です。2026年ごろに出来上がることを予定しているようではあります。
一応、完成を目指しているようなのですが、戦争で詳細な設計図は残っておらず、ガウディがイメージしていたものは、永遠に完成されることはないと思います。
2.未完成であることが完成形
サクラダ・ファミリアは、意図して未完成になっているわけではないようですが、仕事において、意図してアウトプットを永遠に未完成なものがあっても、もっと良いと思います。すなわち、未完成であることが、完成形であるようなものです。
なぜそのようなものが必要かというと、
永遠に可能性を追求できる
からです。
永遠の10代を目指すことに対して、嘲笑するのは簡単なのですが、世の中には、「完成された」として、不幸になっているものが多すぎると思います。
たとえば、東京や大阪など日本の大都市圏は、一部を除き、雑然として発展をしています。このことに対して、未完成だと正面を切って言ってくれる関係者はおらず、多くのビジネスマン・ビジネスウーマンが、満員電車にのってつらい思いをして、通勤をしているのです。日本の大都市は、未完成であると関係者が認知した瞬間、新たな完成に向けて動き出すのではないかと期待したいところです。
未完成に留まるというのは、逆にいうと、永遠に議論をし続けるということでもあります。それに耐えられるような度量が必要なのです。永遠の10代を目指す人は、永遠に批判され続けるのですが、それに耐えられる人でもあります。
以上が本日考えたことでした。
あえて未完成に留まることについて考えてみました。
最後までありがとうございました。