今日、働くことについて考えたこと(対立も必要)
今日、働くことについて考えたことは、
「対立も必要」
ということです。
常に協力できればもっとも良いのですが、対立することも重要です。そのことについて考えてみました。
1.なぜ対立することが必要なのか
常に平和に暮らせれば、その方が良いに決まっているのですが、どうしても対立することがあります。
なぜそのようなことが起こるかというと、対立することによって、いろんなものが発展するからです。
たとえば、最近の主な対立は、
「絶対にこういう考えであるべき」という考え方
VS
「みんな違ってみんな良い」という考え方
の対立に集約されるのではないかと思います。
目玉焼きには、「絶対にソースだ」という考え方と「ソース、醤油、塩それぞれ良いよね」という考え方のような対立です。
※ちなみによく誤解されているように思えるのですが、「絶対にソースだ」「いやいや塩だ」という争いではないです。そうではなく絶対的な基準と相対的な基準で対立しています。
一見、後者の人の方が大人な感じもありますが、後者も「いろんな意見があり得る」ということを決めつけているので、決め付けというところでは大差ないはずです。
このような議論をしてみるとわかりますが、議論を通じて、新たな気づきがあり、考えが深まります。対立がなければ、そのような発見はないはずです。
2.対立をしても、決定的な対立は避ける
対立すること自体は悪くはないのですが、決定的な対立は避けるべきです。ある程度グレーにしておくというのも必要なスキルです。
上記の例の「絶対にソース」派と「ソース、醤油、塩それぞれ良いよね」派の議論の本質的に空虚であることは、この手の対立する議論にすべてに通じます。
どちらが正しいということはないのですが、 議論の正しさよりも、議論を通じて、考えを深めることが重要なのです。
「すべての会社の決定は会社の社長がすべきだ」という考え方と「いろんな意見を通じて会社の決定がなされるべきだ」という考え方が議論をされることによって、その会社が何を目的としているのかがより抽象度の高い形で共有されることになるはずです。そこでどちらが正しいかについて、決定的な対立をするということは、目的が手段化してしまっていると思います。
以上が本日考えたことでした。
対立も必要ということを書きました。
最後までありがとうございました。