今日、働くことについて考えたこと(自分の非を認める)
今日、働くことについて考えたことは
「自分の非を認める」
ことです。
自分の非を認めない人ばかりになってしまうと困ってしまうのですが、そのことについて考えてみました。
1.自分の非を認めることのメリット
自分の非を認めることのメリットは、二つあると思います。
一つ目は、信用されることです。
自分の非を素直に認めてくれる人は、潔さを感じますし、好感が持てます。信用を置くことが出来るのです。
二つ目は、社会的な好影響をもたらすことです。
みんな非を認めない人だったら、その組織・社会は大変です。ちゃんと非を認めてくれる人がいるからしっかり回るという部分もあります。
2.自分の非を認めることによるデメリット
非を認めることのデメリットもあります。非を認めるとその非を咎められるということや責任を取らなくてはならないということもありますが、それに加えて、
非を認めることによって、軽んじられることだと思います。
皮肉ですが、いつまでも非を認めない人の方が注目を集めますし、「筋が通っている」なんて支持する人も出てきたりします。
一方、非を認めるとあっさり社会から忘れ去れたりします。
最近の炎上商法は、残念な気もしますが、企業においても、昔からわがままを言って、自分の非を認めず周りを騒がす人というのは、意外に出世したりします。社会的な影響力を強くするというのは、そのような方法によっても可能なのです。
3.非を認めない人間ばかりだと衰退する
上述の通り、非を認めないような人ばかりになってしまうと、誰も責任を取らない組織や社会になるので、衰退していきます。
賢い方法は、そのような人から影響を受けないようにするということなのだと思います。
物理的に離れるという方法もありますが、それだと無責任な時もあります。精神的な距離を置き、俯瞰的に物事を眺める癖をつけると被害になることもなく、場合によっては、効果的な解決策を提示できると考えます。たとえば、炎上するようなことをいっても、あまり関心を持たないだとか、非を認めない相手に対して、怒るのではなく、丁寧に対応すると、距離がほどよく遠くなっていき、今置かれている状況に対して正しく対処できるはずです。
以上が本日考えたことでした。
自分の非を認めない人が増えていますが、精神的に距離を置くと後で後悔しないはずです。
最後までありがとうございました。
今日、働くことについて考えたこと(期限)
今日、働くことについて考えたことは
「期限」
です。
仕事において期限を設けることは良いこととされていますが、期限設定についてあれこれ考えてみました。
1.期限を設けた方がいい場合・悪い場合
仕事において、期限を設けた方が良い場合と悪い場合があると思います。
期限を設けた方がよい場合というのは、大型のプロジェクトのような複数の人が関わる場合は、期限設定をした方が良いです。
すなわち分業で進めるときに期限設定は必須です。あるAという業務の次にBという業務をする分業であれば、Aという業務がちゃんと期限がまもられていないとB以降の業務が遅滞してしまいます。分業というのは、現代において非常に重要なメカニズムです。分業により、業務ごとに細分化されて、その中で専門化が進むことにより、全体が効率化するとされています。それによって安定したパフォーマンスを出すことができるのです。
一方、期限設定をしない方が良い仕事というのは、クリエイティブな仕事だと思います。現代においては、クリエイティブな仕事も分業の一部となっているので、ある程度期限を守らなくてはならないのも事実ですが、根本的には、クリエイティブな仕事というのは遊びが基本です。そこに期限設定をすると、あまり面白身のある作品というのはできなくなってしまいます。
2.技術革新により期限設定の考え方も変えないといけないかもしれない
技術革新により、足元パラダイムシフトが起きていると思われ、個人の力がこれから強くなっていると思います。
たとえば、面白い番組を制作しようとすれば、昔であれば企業に所属しないとできなかったのが、個人でYoutubeに載せればよいのです。本当に会社に所属しないとできないことというのが、少しづつ減っていくと思います。
そうすると、期限設定についても考え方を変えなくてはいけない気もします。
今はどちらかというと、期限設定をして集団で安定したパフォーマンスを出すよりは、個性的で面白身のある成果物が求められているのです。したがって従来であれば期限を設定するとうまくいく仕事が、そうではなくなってきたないのではないかと思います。昨日の常識が今日の常識とは限らないのです。
3.高齢化がもたらすもの
また、高齢化社会がもたらすものというのは、この期限設定にも影響を与えると思います。
昔は、ある年齢まで達するまでしか仕事をしないので、そこに照準をあわせて仕事をしてきました。多くの企業のキャリアプランもその前提で設定されていたりします。
しかし、高齢化により、キャリアプランの期限がどんどん後ろに行っているのです。今の20代の人たちが65歳で定年退職するようには到底思えません。
自分で期限を区切って仕事に集中するスキルというのが必要になってくるのだと思います。
以上が本日考えたことでした。
最後までありがとうございました。
今日、働くことについて考えたこと(ブラジルナッツ効果)
今日、はたらくことについて考えたことは
「ブラジルナッツ効果」
です。
1.ブラジルナッツ効果とは
ブラジルナッツ効果とは、以下の通りです。
異なる大きさからなる粉粒体を振ると、最も大きな粒子が表面に浮き上がってくる現象のこと
具体的にどのようなことかというと、ミックスナッツの缶を振ると、
大きなナッツが上にあがり、
小さなナッツが下に行く
という現象です。
最も大きいものが下に行くのではなく、小さいものが下にいくという現象ですが、なぜこのようなことが起きるのかは、完全には説明されていません。
組織においてもこのようなことがあるのではないかと思っています。
2.結局大物はどこにいても出世すると思う理由
いろいろな会社組織でもそうですし、会社に属さない人でもそうですが、ミックスナッツ現象のように、いわゆる「大物」というのはどんな環境にいたとしても、結局最後は出世するのではないかと思います。出世というのは、小さなインプットで社会影響が大きくなることです。
大物という定義しだいのところもありますが、
ここでいう大物定義はなにかというと、
解決しようとする課題が大きい人
のことです。
出世する人というのは、性格の良い人・悪い人が出世するのではなく、解決しようとしている課題が大きい人だと思います。
アリババのジャック・マーも起業家に向けて以下の通りに言っていたそうです。
あなたが解決しようとする問題が大きければ大きいほど、あなたの企業も大きくなります。
これは、企業のことを語っていますが、人間の大きさについても同じだと思います。
3.出世したければ
したがって、もし出世がしたいということであれば、自分が解決したい大きな課題を設定するとよいのではないかと考えます。
その際に留意する点としては、オリジナリティがあるとなお良いということだと思います。自分独自の視点で見つけた課題というのは、個性を発揮しやすく、やりやすいからです。
以上が本日考えたことでした。
組織でもブラジルナッツ現象が当てはまるということを考えました。
最後までありがとうございました。
今日、働くことについて考えたこと(真実を言うと嫌われるのはなぜか)
~ニックネームを「OuiOui」からツイッターに合わせて「がねがねめがね」に変えました。以後よろしくお願いします!~
今日、働くことについて考えたことは
「真実を言うと嫌われるのはなぜか」
ということです。
働いていると、もっともなことを言って嫌われてしまい、うまくいかない人を見かけることがあります。なぜそのようなことが起きてしまうのか考えてみました。
1.なぜ真実をいうと嫌われるのか
真実を言うと嫌われてしまうことがあります。
背が小さい人に「背が小さい」といったり
経営のうまくいっていない社長に「経営下手ですね」といって嫌われてしまうことがあります。
なぜそのようなことが起きてしまうかというと、
見たい現実と違う側面に光を当ててしまうから
だと思います。
どんな事実も、色々な側面で見ることが出来ますが、人というのは、その時々の状況に応じて、見たい側面の現実を見ています。
例えば、最新の高級車を買おうとする人は、その最新の高級車の今の現状をみたいのであって、この車もいつか古くなるとか、いつか廃車になるといった将来は、真実であったとしても、買おうとしている段階ではあまりみたい現実ではないと思います。
ただ、車が古くなることやそのうち廃車になるというのは、真実といえば、真実です。
嫌なことを言われたとしても、それを現実として受け止められるか否かは、そのあとの行動に大きな違いを生むはずです。真実を受け止められる能力があれば、柔軟に世の中を生きていくことができると思います。
2.真実を言うとき・言われるとき
したがって、何かを言われた時にイラっとしたら、すぐに怒らず、本当なのかどうかよく見極めることが大切と考えます。
たしかに、事実でないことでイラっとすることはありますが、真実なことでもイラっとするので、本当なのかどうか確認した方がいいと思います。
その現実を見つめられるか否かがそのあと成長出来るかできないかに直結します。
また、真実を言うときは、嫌われることも覚悟する必要があります。
車をまさに買おうとしている人に、いつかは古くなるのだからと言ったら、だいたい煙たがられると思いますし、経営危機の経営者に、「経営下手ですね」といったらだいたい嫌われると思います。そういうことをいうことによって、言う本人・言われた本人にどいうメリットがあるのか見極めることが必要なのです。
以上が本日考えたことでした。
真実をいうと嫌われるのは、見たい現実ではないからですが、真実を言われた時にそこを見つめられる力量が試されるのです。
最後までありがとうございました。
今日、働くことについて考えたこと(適度な距離を保つ方法)
今日、働くことについて考えたことは
「適度な距離を保つ方法」
です。
働いていると、いろんな人と接することがありますが、相手と適度な距離感を保つことが大切です。そのことについて考えてみました。
1.なぜ適度な距離感を保つ方法を身につけることが大切なのか
人や組織と適度な距離感を保つ方法を知っておく必要があると思います。それには、二つ理由があります。
一つ目は、働いていると
かならず距離を置きたい人が出てくる
ことです。
親しい家族・友人・同僚がたくさんいるというのも大切ですが、
働いていると、仲も悪くなりたくないけれども、ちょっとこの人とは距離を置いておきたいという人はかならず出てきます。そのようなときにその方法を知っておくと不安にならずに済むと思います。
二つ目は、
距離の近くても見返りがないこともある
ことです。
例えば一昔前の会社は、社宅をはじめとした福利厚生やキャリアプランまで提供してくれました。しかし、経済全体が停滞している中で、そこまで面倒は見てくれない会社が多数になりつつあります。会社と距離を縮めて、会社にのめり込んだとしても、その見返りが返ってこないこともあるのです。
2.どうやったら適度な距離感を保つことができるか
それでは、どうやったら、距離を保つことがえました。
それは逆説的ですが、
相手を丁寧にあつかう
ことです。
「関わりたくないオーラ」を出す人もいますが、そうするとかえって、相手方から関心や敵対心を持たれることもありますし、そうなると、相手から協力を得るのは難しいです。
逆に、関わりたくない相手を丁寧に扱うと、距離を置くことができます。
なぜ距離を置くことができるかというと、
丁寧に扱うと、相手が次第に関心を持たなくなるから
です。
人というのは、自分に何らかの被害を与える人や面倒なことをする人に対して警戒・関心を持つものです。被害を与えない人に関心を持つのは、それらの人の次です。
心理学で人から好かれる方法として、わざと、無理のない小さな頼みごとをするという方法があります。
「ちょっと、そこの鉛筆貸して」
「ティッシュ一枚くれない?」
とか、小さなお願いをすると相手から好かれるというものです。
一般的に好かられようとすると、その人に尽そうとしまいますが、
人というのは、尽してくれる人を好きになるのではなく、自分が尽す人のことを好きになるというものです。
それを逆に考えて、ある相手と距離を置きたければ、相手から尽くされないようにすれば良いわけです。自分が相手を丁寧に扱い、相手から尽くされることがなければ、自然と距離が遠くなります。
以上が本日考えたことでした。
最後に、以下は、「勝俣州和にファンが一人もいない説」の動画です。
勝俣州和氏がファンがいないことはないと思いますが、おそらくものすごいいろんな人に丁寧に接していると想像します。距離を置きたい人がいるときは、勝俣州和氏のような態度をイメージすると良いのかと思いました。
最後までありがとうございました。
今日、働くことについて考えたこと(敬うようにすること)
今日、働くことについて考えたことは
「敬うようにすること」
です。
本当にどう思っているかは別にして、いろいろな人を敬うようにすることは、仕事をうまくやって行く上で大切です。そのことについて考えてみました。
1.なぜ相手を敬うようにすることが必要なのか
なぜ、敬うようにすると良いかというと、二つ理由があると思います。
一つ目は、
相手も自分のことを無下に扱わない
からです。
人に質問するときに、池上彰氏の以下の本で以下のように述べています。
忘れてはいけないのは、「リスペクト光線」を出すということです。
「これはあなたを貶めるために聞いているのではありません。答えれば、イメージアップにつながります」「あなたという人を知りたいために、わざわざ質問にきました。あなたを高く評価しているからこそ、聞きに来たんです」。そういう気持ちを目にこめて、相手に接するのです。
これは必ず伝わります。人間、自分に好意を持つ人をそう無下にはしないものです。
本当に敬っているかは別にして敬っているふうにしていると、ある程度は相手にしてくれるということだと思います。
そうすると何が良いかというと、聞きたいことを聞けたり、お願い事を頼みやすくなることだと思います。
二つ目の理由は、
高齢化
です。
最近は、会社などの組織において、高齢化が進んでいます。
自分より年上の部下を持つこともあると思いますが、そのような人をマネジメントする必要が出てくる機会も増えてくると思いますし、仕事を依頼することもあると思います。
そのようなときに、敬う心をもっていると、仕事がだいぶスムーズに動きます。
「部下なのだから当然やるだろう」
「当然そちらの部署でやるべき仕事だ」
と言って、仕事を投げると、だいたいうまくいくことはありません。
相手を敬う心が必要になるのです。
2.どうしても敬うのが難しいときの対処法
とはいっても、どうしても敬うことのできない人もいるかもしれません。
そういうときは、敬うふりをすればいいと思います。
ただ、敬うふりをするのも、心の葛藤があるかもしれません。
たとえば、敬うふりをすると、相手の自慢話を聞かされたり、その人と仲間だと思われるのは、嫌だということもあると思います。
そいうときの対処方法は、ケースバイケースですが、距離を置く逃げ道をちゃんと作っておくことが必要です。
以上が本日考えたことでした。
最後までありがとうございました。
今日、働くことについて考えたこと(普通の感覚を持つことの難しさ)
今日、働くことについて考えたこと
「普通の感覚を持つことの難しさ」
なことです。
普通の感覚を持つというのは、簡単そうですが、実は難しかったりします。そのことについて考えてみました。
1.なぜ普通の感覚を持つことが大切なのか
そもそもなぜ普通の感覚を持つことが大切かというと、二つ理由があると思います。
一つ目は、
客観的な基準になるから
です。
たとえば、ある企画書を書いたときに、それがまともな企画書かどうかは、普通の人が読んでどう思うかというのとほぼ等しいと思います。普通の人が受け入れられるものであれば、マーケット層もそれなり大きな層を狙うことにになりますし、そうではないということであれば、どのような人たちをターゲット層にするのか検討する必要があります。普通の感覚というのが、検討の一つの基準になるのです。
二つ目は、
権威がなく素朴な目線だから
です。
権威というのは、物事を見誤らせることがあります。
フランシスベーコンという人が「劇場のイドラ」と呼んでいたものです。
権威があると盲目的に信じてしまうことがあるのです。
たとえば、以下の本によれば、紀元前アリストテレスが女性の歯は、男性よりすくないと言って、西洋では、2000年近く信じられてきたそうです。アリストテレスという権威に間違った説を信じてしまったのです。
こういうときに間違っていると指摘できる人は、普通の感覚を持って実際に歯の数を数えた人です。
2.なぜ普通の感覚を持つことが難しいのか
普通の感覚というのは、持つことは非常に難しいです。
なぜ普通の感覚を持つことが難しいのか二つあると思います。
一つ目は、
人それぞれ普通の定義が違う
ことです。
なんとなく一緒のような気がしますが、違うのです。
会社でも
「普通に考えればわかるでしょ!」
というふうに怒る人がいますが、おそらく怒られている人の普通と違っているのだと思います。
二つ目は、
普通というのは、否定表現でしか表せないから
です。
どいうことかというと、普通であるというのは、ありとあらゆる「普通でないもの」の否定でしか表せないからです。
すなわち、高すぎない、低すぎない、優し過ぎない、厳し過ぎないなど
ありとあらゆる否定をして「普通」が初めてわかるものなので、考え始めると結構、大変です。
3.どうやったら普通の感覚が持てるか
それでは最後に、どうやったら普通の感覚が得られるかですが、
子供目線を思い出す
ことが一番良いのではないかと思います。
周りに子供がいるのであれば、子供と話すのでも良いですし、
自分の子供の頃を思い出すのでもと良いと思います。
ピカソは、90代になって
ようやく子供のような絵が描けるようになった
といったそうですが、芸術に限らず、子供目線というのは、素朴にものが見られる視線なのだと考えます。大人の感覚と子供の感覚を足して二で割るとちょうど良いのではないかということです。
以上が本日考えたことでした。
最後までありがとうございました。